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Vol.86「ものをみる視点」
【 コラム 】 2024.07.10
学びの応援コラム
楜 澤 晴 樹
令和6年7月10日
NO.86 「ものをみる視点」 |
敢えて、「もの」、「みる」という表記で本号のテーマを据えた。
話の導入として、例えば円錐(直円錐)を思い浮かべてほしい。それを水平な台に置き(もちろん底面が接地面)、真上から見るとどんな図形が観察されるだろうか。そう、円である。では、それを真横から見たらどうか。今度は二等辺三角形になる。即ち、同じ物体であっても、視点を変えて(投影の仕方を変えて)見ると異なる形が認識されるという当たり前の話になる。円錐といった「物」に限らず、様々な事物・現象や、さらには人間のありようなども、じつは視点を変えて「みる」ことでその様相や実態を多面的にとらえ、実像に近付くことができる。以下、ある自然事象と漢詩を取り上げながら、多面的に「みる」重要性に迫ってみたい。
〇 沸騰と蒸発
少し理科教師らしい話題で話を進めてみよう。
中学校の理科で、物質の状態変化について学習する。個体、液体、気体と状態が変わる時の規則性に迫る。そこで、物質にはその物質特有の融点(融ける温度)や沸点(沸騰する温度)があり、その温度を境に状態変化が起こることも学ぶ。
さて、ここで身近な水を取り上げてみよう。よく知られているように、その沸点は100℃(1気圧のもと)である。つまり、液体の水は加熱して100℃になると沸騰が始まり、気体の水(水蒸気)へと状態が変わっていく。
ところが、日常生活で洗濯物を乾かす際、衣服に含まれる水を沸騰させているわけではない。コップに汲み置いた水も、100℃にならないのに水蒸気となって空気中に逃げていき、コップの液面が下がっていく。いずれも蒸発という状態変化に因る。
沸騰と蒸発という違いがなぜ起こるかという話は略すが、お馴染みの水についても、その状態変化を多面的にとらえないと目の前の自然事象が説明付かないのだ。
〇 「潮水(ちょうすい)天に接し流る」
これは、哲学者西田幾多郎の漢詩の一節である。全体は、以下の4句から成っている。
青山連海盡(青山海に連なりて尽き) 潮水接天流(潮水天に接し流る)
落日煙雲外(落日煙雲の外) 只看富岳浮(ただ富岳の浮くを看る)
取り上げたのはアンダーラインを付した第2句。「海の水は天に接し流れている」と自然を描写したものだが、注目したいのは西田の視点が1つではないことである。遥か遠く水平線を見て「天に接している海」をとらえ、手前に目を移し「流れる海」をとらえている。
西田哲学は、私には自分の不勉強もあって難解であるが、ある時この漢詩に出逢い、事物・現象を異なる視点からとらえて静かな感動を詠んでいるこの第2句に、はっとさせられた。
教育現場で、子どもをよく「みる」ことの重要性を説くことがあるが、その「み方」に大きな助言をいただいた思いで何度も何度もこの漢詩を味わった。
その後、いろいろな場面で引用させていただいてきた。ご縁をいただいた先生方とお別れする際に、送別の心として「潮水接天流」の色紙をお届けしたこともある。
先日、本コラム執筆にあたり久し振りに筆を走らせてみた。(写真)