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Vol.29「コロナ禍でみえた学校の学びの本道」(2)

【 コラム 】 2022.10.12

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年 10月 12日

NO.29 「コロナ禍でみえた学校の学びの本道」(2)

 

~ICTが活躍する中で~ 

 

前号で、コロナ禍にあって大学の授業が長いことリモートになったために大学生といえども悲鳴を上げる実情であったことを、4名の大学生の声をもとにお伝えした。そこでも述べたが、やはり人間は本質的に人と関わりながら人格形成をしていく存在であることを再認識させられる。

 

さて、そんな実態をふまえながら注目したい2つの発信(論)がある。ひとつは令和2年度末に発表された中教審(中央教育審議会)答申。もうひとつは東北大学の宮本友弘教授が、昨年5月、ある教育情報誌の巻頭言に寄稿されたものである。

 

前者は、ICT機器の活用を含めこれからの学校教育における学びのあり方について、また後者は、通常の対面式授業と、コロナ禍で拍車がかかったオンラインでの授業を比較しながら、心得ておくべき点について述べている。本号ではその両者を紹介しながら、学校の学びの本道(2)として一考してみたい。

○ 「令和の日本型学校教育」(中教審答申R3.1.26)

 

この答申の中で、これからの学校教育のあり方として、「全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現」という2つの柱が発表された。

 

今日、教育のICT環境の整備が進められている中で、特にAIによる個別学習メニューの提供などが注目を集め、それによって個別最適な学びが図られるという側面が強調されている。もちろんそういった利用は加速度的に進むであろう。ただ、気を付けなければならないのは、「個別最適化はICT機器に任せて」という発想に陥らないことである。日々の授業の中で改めて教師による「個に応じた指導」が大事にされなくてはならず、その充実・補完のためにICT機器も活用されるべきなのである。

 

ところで、この答申で「協働的な学びの実現」が並列で掲げられたことにはとても大きな意味がある。学校で学ぶということの意義を再認識させてくれるメッセージでもあると受け止めている。前号で紹介したA~Dの大学生の声は、実際に教師や友と向き合い、関わり合って、この協働的な学びを具現していくことが教育の営みにおいて不可欠であることを示唆しているのではないかと思う。

 

 

  • 「On Line学習と相性の良い生徒と悪い生徒」

これは先に紹介したように、東北大学の宮本教授がある教育情報誌の巻頭言に寄稿された論のタイトルである。

 

宮本先生の研究は、大学生を対象に、物理実験とそこから導かれる法則について、①教師が学生に直接教授する授業と、②映画で教授する授業とを行って、事後成績を比較してみたというもの。その結果は、「対人的積極性」が高い(活動的で、自信があり、自己主張が強く、独立心が高い)学生では、①の教師条件の方が②の映画条件より成績良好で、逆に対人的積極性が低い学生では、映画条件の方が教師条件よりも成績良好であった。即ちどちらの教授条件も学生による相性の良し悪しがあるというのだ。ただし、結果のグラフをていねいに見させていただくと、教師条件で学んだ学生の方が、映画条件で学んだ学生より集団全体では明らかに高得点で、一人平均にして7~8点は高くなっていることも読み取れた。

 

コロナ感染等で学校に行けない状況になってしまった場合の学びの助っ人として、ICT機器が貢献してくれているが、通常の学校教育において目指すところは、言うまでもなく、ICT機器を単に「使用」することではなく、よりよい授業を創り出すために「活用」することである。

 

 

  • 「人間は人間から人間であることを学ぶ」(哲学者 上田閑照)

故上田閑照先生(2019年逝去)のこの言葉を、私はこれまで何度かみしめてきたことか。この中に「人間」という単語が3回出てくるが、教職の道を歩む自分、子どもの親としての自分、また子どもたちと接する社会の一員としての自分のありようを考えるとき、2番目に登場するアンダーラインを付した人間でありたいと、折々努めてはきた。ところが、昨今「人間関係が希薄になってきた」とよく聞くわけで、上田先生によれば、人間らしい育ちが成立しにくい社会になってきているという危機感をもたざるを得ない。

 

 

これから学校現場にもどんどんICT機器が導入されるが、それが人間関係の希薄化につながらなければよいのだがと案ずるのは、年寄りの取り越し苦労であろうか。