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Vol.3「桜はすごい!」

【 コラム 】 2022.04.18

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年 4月 18日

 

NO.3「桜はすごい!」

 

前号では、子どもは本来的にアクティブラーニングの天才であるので、そういう子どもに「火をつける」私たち大人でありたいと結んだ。本号では、恥ずかしながら私の少年時代のエピソードをもとに主体的に学ぶことのすばらしさ、意義を増幅し、そんな学びの「火付け役」について一考する機会にもできればと思う。今真っ盛り(?)の「桜」に因んで。

 

○ 我が少年の日の思い出

私の父は、私が小3の初冬、病気で他界してしまった。戦時中、同盟通信の記者兼電気通信技師として活躍した話、時々英語ではこう言うんだよと説明してくれたこと、当時(昭和30年代)村内の多くの家庭に真空管式ラジオが普及し始めたが、その多くが父の手作りによるものだったこと等々魅力満載で、自慢の父だった。そんな父のもとで、電気コードの断線の修理などの技も身に付けたので、家庭内で重宝がられた。物作り大好き少年になった。

 

さて、本題に入ろう。中3から高1にかけてのことである。私は、母に断って自分の部屋を大改造した。まず、古くなった畳を撤去して床に化粧板を張った。八畳プラス一畳という広さで、その化粧板の材料費が改造費用の大部分を占めた。数千円だったと記憶している。部屋はミシンで縫い上げた自作カーテンで仕切って寝室と学習空間とに分離した。ところで昔の家の多くは、部屋の中央にある蛍光灯から下がっている紐が唯一のスイッチで、暗闇の中、手探りで紐にたどり着いて点灯させるという不便さがあった。そこで、入り口の引き戸を開閉するたびに点灯、消灯するような仕組みを作り、皆にびっくりされた。また、寝たままで本を読める書見台を天井から吊り下げた。ベッドも手作りで、その「足」は、我が家の山の木を材料にして製作した。

さて、その足を加工していたときのことである。六脚の内、補強用の二脚には、既に山から薪用に切り出され、庭に積んであった桜の木を選んだ。そして丸太の桜を切ったり削ったりしながら大発見に至る。

な、何と、あの桜餅の香りがするではないか。花は芳しい桜湯になり、葉は桜餅に魅力的な香を移し、そして幹からも同じ香を漂わせる桜・・・この事実に、私はすっかり惚れ込んでしまった。補強用桜材の丸太の側面を削って楕円形の面を作り、そこに書をしたためることにした。

当時科学者を夢見ていた少年が、何と百人一首すべてに当たることになった。「花(桜)」が登場する短歌をリストアップし、結局、紀友則の次の一首を採用した。

 

ひさかたの光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ 

 

墨をすり、一発勝負で筆を走らせた。この瞬間、我が手作りベッドに品格が生まれ、部屋全体の文化水準が高まった気がした。桜の生命に魅せられながら、少年は一時(いっとき)文学少年になったのだった。

 

○ 主体的・能動的な学びを育んだもの

高校時代に、受験対策としても百人一首は勉強しておいた方がよいと指導されることがあったが、「深い学び」には至らなかった。ただ、先に紹介した一首だけは、いまだに詳細を解説できるレベルにあると自負している。

本号で紹介したエピソードは、東信教育事務所の学校教育課長時代、新規に採用となった教員の研修の場でも話させていただいたことがある。

 

ところで、仮に一時であったにせよ、短歌までも愛するようになった少年を育んだものは何だったのだろうか。原点をたどってみる。もちろん母の理解と応援もあるが、元の元は在りし日の父の存在に行き着くように思う。私が小3の時他界してしまった父ではあるが、その父が私に物作りの魅力をたっぷりと味わわせてくれたこと、それこそが私をかく歩ませてくれたものと振り返っている。

 

アメリカの教育学者 William Arthur Ward は、教師を4つのレベルに分け、その特徴を巧みに表現している。①「凡庸な教師はしゃべって教えちゃう」、②「いい教師は説明する」、③「優れた教師はやってみせる」、④「偉大な教師は子どもの心に火をつける」というものだが、ぜひ、心に火をつける、すなわちやる気を引き出して主体的・能動的に学ぶ学習者を育てる教師・指導者でありたいものである。

(参考まで)

①The mediocre teacher tells.

②The good teacher explains.

③The superior teacher demonstrates.

④The great teacher inspires.

By William Arthur Ward