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Vol.85「真民さんからの応援」

【 コラム 】 2024.06.26

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和6年6月26日

 

NO.85 「真民さんからの応援」

 

「祈りの詩人」とも呼ばれる坂村真民氏(平成18年逝去)とお手紙のやりとりをさせていただいたのは、平成9年新春のことであった。以下、氏を真民さんと呼ばせていただく。

 

それは、私が信州大学教育学部附属長野中学校で学年主任を務めていた折、その学年の卒業記念品として、真民さんの詩をご本人に揮毫していただけないだろうかという学年会の想いをお伝えする往信から始まった。結果は、私たちの願いが叶い、「二度とない人生だから」の冒頭1連目を揮毫していただくことができた。

下の写真がその書である。現在、信大附属長野中の生徒昇降口に掲げられ、生徒諸君は毎日、真民さんの熱いメッセージに出会っている。

 

 

さて、本号ではこの卒業記念品に因んで、真民さんの「学びの応援」エピソードを紹介しようと思う。

 

〇 「将来を担う生徒さんのために」

坂村真民さんの詩を卒業記念品にという声は、真民さんに心酔するK先生から上がった。たまたま、「二度とない人生だから」の詩は時の副校長先生の講話で取り上げられたこともあり、同詩の1連目を揮毫していただこうという学年会の意向は即決であった。ただ、それが実現できるかどうか、謝礼のことも含めて大きな不安を抱きながら私は恐る恐る筆を執った。

 

「将来を担う生徒さんのために」と真民さんからご快諾の返信をいただいたのは、それから間もないことであった。「二度とない人生だから」の詩の3連目に、「二度とない人生だから 一ぺんでも多く 便りをしよう 返事は必ず 書くことにしよう」と紡ぎ出されているが、まさにそういう返信であった。しかも、不安材料だった謝礼についても、その不安を払拭してくださった。

「歳を重ねてなお教育に貢献できるとすれば、そんな幸せなことはありません。よって謝礼など頂かないつもりですが、かえって心配されるといけませんので後日相談させてください。」とのことであった。

 

仕上がった書に添えられていたお手紙には、「謝礼〇〇円など、とんでもないことです。その十分の一と申しまして、それ以上は絶対に受け取りません。そう校長先生におっしゃってください。」とあった。

 

〇 「ゆこう」を「いこう」に

真民さんの詩を愛されている皆様の中には、写真の詩の言葉遣いが一部オリジナルのものと異なっていることに気づかれた方がおられるかもしれない。実は、真民さんからの揮毫快諾のお手紙には、ご自身の詩で用いている「ゆこう」という言葉を「いこう」に変えて揮毫する旨のこだわりが追記されていた。

今日小学校の教科書で用いられている「行く」を調べたところ、「ゆく」ではなく「いく」としていることがわかったので、学校に掲げる詩であることに向けた配慮をしたいとのことであった。

 

「いこう」とした経緯にも注目して、心底子どもに寄り添って筆を執られた真民さんの想いを感じ取ってほしい。信大附属長野中に掲げられた「二度とない人生だから」は、恐らくこの世に「二つとない」「二度とない人生だから」だと思う。

 

〇 終わりに

「二度とない人生だから」の詩の結び、第7連目だ。紙面の都合で、原文の行構成を変えていることをお許し願いたい。

 

二度とない人生だから

戦争のない世の 実現に努力し  そういう詩を 一編でも多く 作ってゆこう

私が死んだら あとをついでくれる 若い人たちのために

この大願を 書き続けてゆこう

 

真民さんの、生命あるものへの深い愛は、世界平和の実現を切に願う。その想いは、真民さん亡き今も朽ちることなく、今も「若い人たち」の心を打ち続けている。