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Vol.83「時の記念日に寄せて」

【 コラム 】 2024.05.29

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和6年5月29日

 

NO.83 「時の記念日に寄せて」

 

本コラムは現在、隔週で水曜日に発信しているので、次号は6月12日のアップとなる。そこで、本号で標記テーマを据え、来る6月10日「時の記念日」に先行させたいと思う。「正確な時が共有される」ことがあまりにも当たり前になっている現在、先人の「時」への想いを忘れないようにしたい。

 

〇 o’clock

 これは、英語で〇〇時と表現するときのお馴染みの単語であるが、ご存じの通りof the clock の略である。文字通りの解釈をすれば、「clock(時計)による〇〇時」となる。そのclockの語源をアメリカから来日しているあるAETに調べてもらったことがある。するとラテン語のclocca(鐘の意)からきているとのことで、時が教会の鐘で知らされるようになった経緯を物語るものだという説明を受けた。

社会は集団から成るが、その構成員それぞれの判断によらない「標準時」が知らされることは社会生活に大きな貢献をする。我が国において、「時計で判断される時」が共有されるようになった歩みを振り返ってみたい。

 

〇 時の字源

最初はもちろん時計にはよらない。まず、時という漢字の字源を調べてみた。次の写真の文字に行き着いたが、パソコンで打ち出すすべがわからないので、自筆の文字を写真にして紹介することにした。

 

 

この漢字を一目見て魅せられてしまった。3つの部分に分けてみると、「山」の下に「なべぶた」がくっついていて、その下に「日」がある。まん中の「なべぶた」には屋根の意があるので、山を屋根にして、そこから昇ったりその下に沈んだりする太陽が表現された文字であると勝手な解釈が湧いてくる。勝手ついでだが、少なくとも太陽の日周運動(地球の自転により天体が1日周期で回転するように見える現象)をもとに時の判断がなされていたことを物語っているように思う。

 

しかしながら、観測者の主観頼みの時のとらえでは、社会生活に支障が生まれないはずがないし、そもそも観測場所による太陽の日周運動の差異は、人や物の動きが広範囲に及ぶようになる中で当然不具合を生む。時計による時の判断と周知が必要になってくるのである。

 

〇 「時の記念日」の制定

日本書紀に、日本で初めて時計による時の知らせが行われたことの記述があるという。それは天智天皇10年(671年)6月10日のことで、そこに登場する時計は、「漏刻」という水時計だったそうである。

 

この6月10日が「時の記念日」として採用されることになる。大正9年(1920年)のことであった。同年、文部省は「時」展覧会を実施していたが、その期間中に「時の記念日」の提案があったとのこと。なお、同展覧会に賛同協力した生活改善同盟会(伊藤博文が会長)は、日常の生活改善10項目を掲げ、その第1に「時間を正確に守ること」を位置付けていた。

また、当時、欧米の先進国から「日本人は時間の感覚に乏しい」という批判を多く浴びていたことも、「時の記念日」制定の背景にあったかと思う。

 

〇 「日本人は時間を守り、約束を守り、ごまかすことなく・・・」

私がリオ・デ・ジャネイロ日本人学校に派遣されてブラジルで3年間を過ごしたこと、また、そこで日本人が非常に厚い信頼を得ていたことは以前紹介した。本節の見出しにした日本人評価は、現地のいろいろな所でよくいただいたものだが、ここで注目したいのは、「時間を守る日本人」として評価されている点だ。出所が異なるとしても、大正時代に批判された「時間感覚に乏しい日本人」からの大逆転ではないか。

 

さて、「時の記念日」制定から100年余が過ぎている今日、我々の時間感覚はどうだろうか。私が40年程前にブラジルで頂戴した「時間を守る日本人」評が、今も実像として輝いていてほしいと思う。

 

私たちが主体的に学び、主体的に生きていくための大事なカギとなるのが「計画」である旨、これまで幾度となく強調してきたが、その「計画」につきものの「時」である。間もなく迎える「時の記念日」は、改めて自身の時間感覚や時間管理の実態を振り返る機としたい。