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Vol.76「子どもの内面性の重視を」

【 コラム 】 2024.02.21

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和6年2月21日

 

NO.76 「子どもの内面性の重視を」 

 

前号で、自分に胸張る自分づくりをしていく子どもを応援していくには、私たちが「テストの点数など見えやすいところばかりの評価」に終始しないよう心がけたい旨述べさせてもらった。また以前、本コラム14号「見えないところを磨く」では、ある植木職人さんの教えを紹介しながら、「外面(そとづら)」だけをみて確認、評価してしまう傾向が、家庭においても学校においても、さらには社会においても結構見受けられることに警鐘を鳴らした。

 

私は校長時代、子どもを評価する際に大事にしたいこととして、日本の教育心理学者として名高い梶田叡一先生の説かれるところをよく引き合いに出して職員に話をした。評価についての考えを深めることは、子どもたちが主体的に学ぶ授業づくりを考える視点を研ぎ澄ますことにもなったはずである。

 

本号では、かつて信濃毎日新聞社が「信州教育の戦後50年を問う」と銘打って開催した教育シンポジウム「いま、子供たちの『学校』は」における梶田先生のお考えの一端を文責楜澤にて紹介し、評価における大事な基本姿勢を共有できればと思う。なお、同シンポジウムの「報告」は、信毎出版局編集の冊子にもなっているので、関心ある方は一読されたい。

 

〇 内面性を重視して ~梶田叡一氏のご発言から~

【学びも育ちも大事にする教育をやっていく上で見落とせないポイントが「内面世界」。「内面世界」というのは、一人ひとりの顔の後ろ側の世界ということ。顔の表面はつくることができるし、ものの言い方も上手に飾ることができる。しかし、人間が生きていく上で一番大事な拠りどころとなるのは実感の世界であり、納得の世界であり、本音の世界である。

実感だとか納得だとか本音だとかは顔の後ろ側にあって他の人には見えない。例えば授業する時、「みなさーん」と言えば教師の方をみんな向くだろうが、教師に向けている顔の後ろ側に一人ひとりの子どもの本当の世界があるのだ。小学校だったら「みんな分かった?」と先生が聞くと、「分かった」と声をそろえて言うものだ。しかし、本当は分かっていなくてもつられて「分かった」としている場合もあるので、教師は、ニコニコして「分かった」と言っている子の顔の後ろ側をみようとしなくてはならない。本当にこの問題についてのこだわりがあったのだろうか、そのこだわりを自分なりにどう追求(追究)してきたのだろうか、その結果何に気付いてくれたのだろうか、何を分かってくれたのだろうか、という目を向けていく必要がある。】  (以上要約・文責 楜澤)

 

見えにくいところを見る私たちの眼力が問われる。梶田先生の説かれるところを受けて教師向けの話をすれば、授業者は授業の「ねらい」に寄せて一人ひとり(類別してグループ単位で考える場合もあるが)の何を見届けたらよいか、あらかじめ構想しておく必要がある。その授業で子どもが書き留めたものはもちろん、関連する単元等におけるそれまでの学びの足跡を蓄積しておいて参照すると、「顔の後ろ側」がみえてくることもある。「こう考えたとすれば、こんな外的な現れがあるはず」などの仮設を用意しておいてその現れ方をみるのもよかろう。いずれにしても、見えにくい「内面」にある子どものすばらしさやつまずきをとらえようとする姿勢はいつももっていたいものだ。

 

〇 作文の時間のこと(再掲になるが)

本コラム6号「見えやすいOUTPUTと見えにくいINPUT」でも紹介したが、小学校の3、4年ぐらいまで、私は作文の時間が本当に嫌いだった。先生は何を書いてもよいと言われたが、何を書こうか1時間中(学校では45分間)考えて、結果、何も書かずに終わることが多い時間であった。

 

ただ、そこで注目すべきことがある。それは、尊敬する担任の先生も、またそれとなく状況を知り得た母も、作文への意欲がわかない私をほとんど問題視せず、「そのうち」と肯定的にみてくれていた。私にとっては、「作文のための作文」に意味や意義を見出すことができなかった結果であり、むしろ白紙が物語る私の内面は「白紙」ではなかった。

「書きたいことが見つからない」と説明する私のありように、先生も母も心底寄り添ってくれた。まさに私の内面性を大事にみてくれていたのだ。本当にありがたいことであった。振り返って感謝、感謝である。