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Vol.70「ブルックナーの交響曲との出合い」

【 コラム 】 2023.11.29

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和5年11月29日

NO.70 「ブルックナーの交響曲との出合い」

 

以前も紹介したが、私にとってクラッシック音楽は生きる必需「品」である。今も在宅の日課であれば大抵1~2時間、CDや時にはこだわってレコードで鑑賞する。また、暮れの「第九」をはじめ、生のコンサートに出かけるのもたまらない。

 

よく、好きな曲を尋ねられることがあるが、その時々の情況等によって異なるので、複数の作曲家や曲を挙げながら歓談している。主に交響曲や協奏曲を好んで聴くが、時には美しいピアノソナタに浸ることももちろんある。

 

ところで、好きな曲の中にブルックナーの交響曲がある。私にとって、同交響曲との出合いには特別な意味がある。本号ではその話を書こうと思うが、そこに、私の「学びの応援」をしてくださったT先生が登場する。

 

〇 母、交通事故の知らせに

大学3年のときだった。いつもバイク(原付)で飛び回りながら農作業をしている母が、後方からの自動車にひっかけられてしまった。ある工務店のライトバンで、何と無免許運転の老人が運転する車だった。

姉からの電話連絡は、床(とこ)敷のアルバイトをしていたホテルで受けた。

「母さんが事故に遭ってしまったんだけど、あわてないで家に帰ってきて。」とのこと。

「あわてないで」の言葉に嫌な予感がした私は、大慌てで帰省した。

 

病院に駆けつけると、母は集中治療室で頭部を冷やしながら点滴をしていた。脳圧が上がっているので、動揺すると吐いてしまうからと、面会は禁止された。母の姿はモニターと窓越しで確認できた。

母と二言三言の話ができたのは、翌日の午後であった。頭部全体を冷却する処置が功を奏したそうで、恐れていた事態は回避できた。皆の祈るような気持ちが通じ、そこから徐々に快方に向かったのである。主治医の院長先生のお陰であった。

 

ところで、この事故で帰省している間に大学の後期試験の最終科目があった。反応速度論の試験であった。冒頭予告したT先生の講座で、病院から先生に電話で連絡・相談をさせていただいた。

「母が交通事故に遭ってしまい、今帰省しています。しばらくこちらにいる必要がありますので、試験の日程に間に合わないのですが、・・・。」

T先生は即答であった。

「楜澤君、お母さんをしっかりみてあげなさい。試験は君が大学に戻ってからいつでもできますから。」

 

院長先生といい、大学のT先生といい、本当に素晴らしい先生に恵まれた。大学に戻ってから1週間ほど経って、私は追試ということではなく特別仕立ての試験を受けることができた。反応速度論はとても興味深く、日頃からよく質問にも伺って勉強していたので、結果も良好であった。

 

〇 ブルックナーを愛する先生からいただいた応援歌

実は、T先生の住宅には同じ学科の親友と何度か訪れていた。先生は、予定がなければ講義から離れて私たち学生と歓談する時間も愛された。私たちの遠慮なしの夜の訪問も歓迎してくださり、特にオーディオ機器やクラッシック音楽の話題には花が咲いた。そこで先生がぞっこん惚れ込んでおられるブルックナーの交響曲を、先生お手製のスピーカーで聴かせていただくことになったのである。「うーん、いいね。」と頷きながら聴き入っておられる先生とリッチなひと時を共有させていただいた。

「この前は5番を聴いたね。今度は7番いってみようか。」・・・初めて聴くブルックナーであったが、私もすぐにその響きの重厚さに惹きつけられた。

 

さて、母の容態も快方に向かったので、その報告も兼ねて、特別に試験を行っていただいたことなどの温かいご配慮に改めて感謝申し上げようと先生のお宅を訪ねた。この時先生からいただいた次の言葉は今も忘れられない。

「お母さんもお一人で苦労なさっているが、楜澤君がしっかりしているので安心だね。苦学生、益々がんばりなさい。」

学びの大応援歌であった。こうしたT先生の存在は、当時の私にはもちろんのこと、その後の私の歩みにとっても大きな支えとなった。

 

その夜、いつものようにブルックナーを聴かせていただいての帰り道、夜空を見上げながら心の中でつぶやいた。・・・「母ちゃん、こんなに立派な先生が応援してくださっているからこっちは大丈夫だ。早くよくなれよ。」

 

〇 私とブルックナー

平日の朝食後にコーヒーをいただきながら音楽鑑賞ができるのは、退職後の特権のように思う。朝は、例えばモーツアルトの軽やかなピアノ協奏曲がよく合う。一方、ブルックナーの交響曲は朝一で聴くことはない。全くの私見で、抽象的な表現になってしまうが、心地よさというより、何か課題に立ち向かっているときの一息をつかせてくれる。思考を深める豊かさを増幅してくれるようにも感じている。

 

その重厚な響きは、あのすばらしいT先生の存在とも重なって、今もしばしば私の精神の求めるところとなっている。