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Vol.68「察する心と学校給食」

【 コラム 】 2023.11.01

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和5年11月1日

 

NO.68 「察する心と学校給食」

 

 

前号、前々号で、目に見えること・ものからそこに見えない部分を「察する」心が人間として重要である旨述べたが、本号ではその視点に立って食、特に学校給食を取り上げてみたい。

 

〇 食育基本法、学校給食法から

食育基本法の第3条を紹介しよう。食に関する感謝の念と理解についての条文である。

「食育の推進に当たっては、国民の食生活が、自然の恩恵の上に成り立っており、また、食に関わる人々の様々な活動に支えられていることについて、感謝の念や理解が深まるよう配慮されなければならない。」

 

次は学校給食法の一部である。その第2条には次に示す四と五を含む7つの目標が掲げられている。

四  「食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであることについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。」

五  「食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと。」

 

以上やや硬めの話になったが、そこに示されているように、食事をする際、その食自体への感謝はもちろんのこと、そこに直接は見えない自然や人々の存在・貢献に対する感謝の念を大切に育みたいものである。もちろん、学校給食においても重視していることだ。

 

〇 学校給食応援団に感謝

佐久市だけではないが、多くの市町村で「学校給食応援団」が結成され、野菜をはじめとして学校給食の食材の生産・提供に多大な貢献をしていただいている。

「今日の給食のキュウリは〇〇さんの畑で収穫されたものです。」と、給食だよりに写真入りで紹介するなど、顔の見える関係を大事にし、時には応援団の皆さんを学校にお招きして一緒に歓談しながら給食をいただくような企画もなされている。

 

学校給食用の果物・野菜を提供するには、生産量や時期の調整をはじめ通常の営農のノウハウに加えての取り組みが必要なので、本当にご苦労いただく。そもそも栽培種や営農規模等は学校給食用に考えられていたわけではないのだから。しかしながら、応援団の皆さんは、「将来を担う子どもたちが喜んで食べてくれるので、・・・」と張合いの一端を語ってくださる。

その想いを知った子どもたちは、目の前に応援団の皆さんがいなくても、給食をいただきながら食材の背後にある労苦に感謝し、また、自分たちに寄せられる期待も噛みしめることになる。本当にありがたいことだ。

 

〇 給食調理の皆さんへの感謝

ご案内の通り、給食調理室は学校内にある場合と、給食センター等校内にはない場合がある。この、自校給食かいわゆるセンター給食かについては、様々な議論がなされてきているところだが、ここで、「察する」心の育ちに絡めて私の考えの一端を述べてみたい。

 

簡単に言うと、目の前で調理する方々がいる環境でなければ調理員の皆さんへの感謝の念を抱きにくいかという問題である。私の見解は、「NO」だ。もちろん、目の前にその環境があるのもよいが、センター給食であっても、調理員の皆さんのご苦労や給食に込められた想いを十分「察する」ことができる。それこそ教育の成せる業ではないだろうか。

 

センター給食の小学校では、大抵同センターの見学を実施している。そこで調理員の皆さんが自分たちのために心血を注いで調理してくださっている姿をとらえた子どもたちは、自校に届けられた給食をいただく際にもそのご労苦を察する。お昼の校内放送で、栄養教諭等からその日の献立や調理上の配慮などのメッセージが流れると、調理してくださっている皆さんや、野菜等を生産してくださっている皆さんへの感謝の念を膨らませるのである。

 

センター給食の学校では、お昼近くに給食調理室から漂ってくるたまらない匂いの好(?)刺激はないが、食を通して育みたいところを欠いてはいない。