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Vol.66「校名表札に込められた想い」

【 コラム 】 2023.10.04

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和5年10月4日

 

NO.66 「校名表札に込められた想い」

 

もう20年近く前になる。私は平成17(2005)年の4月、東筑摩郡本城村の聖南中学校に校長として着任した。本コラムNo.26では、同校を「ある中学校」としてそこに学ぶ生徒のすばらしい姿を紹介したが、本号ではその校名に因む話になるので固有名詞を出した。

着任時、聖南中は「本城村坂北村中学校組合立聖南中学校」であった。興味深いことに、校舎の住所は本城村、校舎に隣接する校庭の住所は坂北村であった。さて、その年の10月のこと、本城、坂北の2村に坂井村が加わって合併し、「筑北村」が誕生した。よって、年度途中ではあったが、校名が「筑北村立聖南中学校」と改められることになった。それに伴い様々な準備が必要になったが、その中に校名表札の新調があった。

この校名表札に絡む2人の人物を紹介したい。

 

〇 池田龍仙 先生

本コラム38号でも紹介させていただいたが、書家として全国的に有名な先生で、ご存命の間に何と2度も内閣総理大臣賞を受賞されている。その龍仙先生に、私は高校時代の選択書道で師事する幸運を得た。高校卒業後ブランクはあったが、教え子として大事にしていただき、教師になってから、特に校長になってからは、「楜澤君、僕が空いているときはいつでもみるよ」(38号本文から再掲)とおっしゃって、作品作りや大事な揮毫をする際ご指導くださった。

さて、校名表札の揮毫である。龍仙先生の「離愁庵」を訪ね、事情をお話しして揮毫のお願いをしてみた。先生の第一声は、「君が書きなさいよ」であった。しかし、新しい村が誕生し、そこにただ1校存在する中学校に、全国に名の知れた先生の書を学校の顔として掲げることへの校長の想いを切々とお伝えした。結果、小さな村がかくも教育を大事にしているというひとつの事実を刻み残すことができたのである。(写真)

先生のご指示で、板は欅、文字は凹彫りでそこに白を入れる仕様にした。この制作を受けていただいた専門業者は納品時、「池田龍仙氏の見事な書にふさわしい彫にするために、欅を厳選し、ご注文より厚い材にさせていただきました。名誉ある仕事をいただいたお礼です。」と誇らしげに話してくださった。その後、表札の書もその彫も、書に関心をおもちの方をはじめ大勢の来校者から絶賛を博した。合併したとはいえ小さな村の、小さな中学校が、新しい大きな一歩を踏み出した。

 

〇 小岩井 稔 先生

この校名表札が、そこに込められた想いも含めどのような経緯で誕生したかを整理して、未来に繋ぐお取り組みをしてくださった先生がいる。

私が聖南中学校にお世話になっていた時の技術科の先生で、本当にすばらしい教育実践を積まれていた小岩井 稔先生である。先生は既に退職されているが、在職中、私が同校を去った後、聖南中にある書画をはじめとした学校の宝物について、その作者や作品に関わる諸資料を整理し、貴重なデータとして保存してくださった。

 

小岩井先生は、作品が制作され学校に設置された当時の様々な事情が、時を経るにつれて忘れ去られ、物はあってもその物がもつ大切な教育的価値がわからなくなってしまうことを危惧された。今ある校名表札も、当時そこにどんな想いが込められて誕生し掲げられたかを知ることで、学校の顔というだけにとどまらない教育的価値が息吹く。

 

2年余の時間をかけて、可能な限り時々の関係者に当たってまとめ上げたという小岩井先生のお取組にただただ頭が下がる。物を大事にすることは、その物に込められた人々の想いを大事にすることでもある。学校現場は毎年、一定程度の教職員が異動するし児童生徒も卒業と入学で大きく構成員が変わる。よって、物があることに加え、その物に関わって忘れてはならない教育的価値を未来へ繋いでいく歩みが非常に重要になるのだ。

 

物づくりを通して人づくりに迫る実践を日々積まれてきた技術科の小岩井先生からは、教育のあるべき姿の多くを学ばせていただいた。

物に込められた人々の想いは目に見えない。しかし人間は、そこを察することができる。