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Vol.65「環境が人を育てる」

【 コラム 】 2023.09.20

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和5年9月20日

 

NO.65 「環境が人を育てる」

 

前号で、「不便さのもつ教育力」、「必要な不自由」という考え方に注目した。いずれも、環境が人を育てるという話に帰結すると思うが、教育の営みにおいてはよく言われるように、物的環境も人的環境も人を育てる重要なカギとなる。

 

さて本号では、その後者の一例として、在りし日の我が母の生きざまが当時小5の妹をかくあらしめたというエピソードを紹介したいと思う。それは、私が中2の3月、卒業式のリハーサルの日に起こったアクシデントに絡む話になる。本題に入る前に、まずその状況説明をしておこう。

 

〇 早く体育館へ!

佐久市にある我が母校の浅間中学校は当時(今はどうか知り得ていない)生徒会が前期と後期に分かれていて、私は中2の12月、前期生徒会長になった。年度末の卒業式には、卒業生への送辞を述べる。

さて、アクシデントは卒業式のリハーサルで体育館に向かう途中起こった。我がクラスのホームルームが少し長引いてしまったため、私は送辞原稿を内ポケットに入れ体育館へと急いだ。当時浅間中は、1200名近い生徒数だったと思うが、とにかく我がクラスを除く生徒は皆既に体育館に整列している時間だった。「早く体育館へ!」、気が急(せ)いた。

西側の校舎出入口から体育館通路に出ようとした。その出口手前から体育館まではコンクリートの上にスノコ板が敷かれ、その上を歩くようになっていたが、ただ、校舎側のスノコ板と通路1枚目のそれとの間隔だけは、簡単には渡り移れないくらい離れていた。その間にある出入口に、鉄製のスライドドアが設置されていたためだ。走っていた私は、そこを跳んでしまった。

 

コンクリート製のかもいに頭を強打し、大変な事態になったことを認識したのは、着地後数歩進んでからであった。生暖かい血が顔面を伝わり、大げさに言うと辺りは血の海。すぐに、学校近くの浅間病院に運ばれた。

患部周辺の頭髪を切って縫合していただいた。入院騒ぎにならなかったことだけは幸いであった。

 

〇 小5の妹の振る舞い   

さて、本題に入ろう。その日は担任の先生とバスケットの顧問の先生が私を家まで送ってくださった。このとき、母は工場の勤めからまだ帰っておらず、また、姉も高校から帰っていなかったので、家には小5の妹だけがいた。

 

妹は、私の包帯だらけの頭を見てびっくり仰天であったが、「ちょっとぶつけて血が出ちゃったけど、病院で縫ってもらったから大丈夫だよ。」という私の言葉で落ち着いたようだった。そして、送ってきてくださった先生方に何かお礼を言いながら来客用の座布団を用意した。更に、お茶の準備をして、何とそこに漬物まで添えてくれたのである。何一つ私が指示したわけでも頼んだわけでもなかったが、いつも母が来客にするような接待を行ったのである。

 

これには先生方も驚いて感心された。私は、小さな妹の振る舞いに涙が出た。はずかしながら、私は漬物がどこにどのような状態で仕込まれているのか、それまで全く知らなかった。

 

〇 自らの生き様で子どもの自立心を育んだ母

以前も書いたが、私が小3の時、父が病気で他界してしまったので、母は本当に死にものぐるいで私たち3人の子どもを守り育ててくれた。妹はまだ小学校に上がる前の父との別れであった。

 

さて、小5になった妹が「兄ちゃんの大怪我」に直面し、中学生の私もできないような振る舞いをしたその背景に母の生き様があったことは言うまでもない。女手一つで必死に働いて、一人一人の子どもに最大の愛情を注いで生きている母の姿は、「まだ小学生だから」という発想をさせなかった。「お母さんならこうするだろう」という振る舞いを自ら考えて、「兄ちゃんを助けて家まで送ってくださった先生方」に精一杯の謝意を表したのである。

 

〇 付記

ところで、この後の卒業式当日のことを付記させていただく。浅間病院の看護婦さん(当時は看護師という呼び方はなかった)の心遣いがまた、「人を育てる」それであったからだ。

 

卒業式本番は、すぐにやってきた。まさか包帯ぐるぐる巻きで送辞を述べるわけにはいかない。この時お世話になった看護婦さんは最初からそのことを察していて、有難い素敵な対応をしてくださった。

卒業式当日、看護婦さんの指示どおり朝7時に病院に伺った。まず包帯をすべて外し、縫合箇所の消毒をしてくださった。そしてやや小さ目のガーゼに替えた後、女性が髪によく使うピン止めで患部周囲の髪の毛をそこに被せ、髪がない部分を見えないように整えてくださったのである。

私は、痛みなどすっかり忘れて、看護婦さんの「送辞、頑張ってね。」にバッチリ応えた。