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Vol.60「探究的な学びの重視」
【 コラム 】 2023.07.12
学びの応援コラム
楜 澤 晴 樹
令和5年 7月 12日
NO.60 「探究的な学びの重視」 |
令和4年度から年次進行で実施されている高等学校の新学習指導要領には、「探究」という言葉が頻繁に登場する。キーワードになっていると言っても過言ではなさそうだ。
新たに「理数」という教科が設けられ、そこに「理数探究基礎」、「理数探究」の科目が登場した。また国語の中に「古典探究」、地理歴史の中に「地理探究」、「日本史探究」、「世界史探究」と、「探究」の名称が付された科目がいくつもデビューしている。これまでの「総合的な学習の時間」も、「総合的な探究の時間」に改められた。
本号では、この「探究」に注目して高等学校での学びが変わろうとしているその方向性を歓迎し、僭越(せんえつ)ながら「学びの応援」としたいと思う。なお、言うまでもなく「探究的な学び」は幼・小・中でも重視されているが、今回それが高校教育にも実像を現したことに大きな意義があると考えている。
〇 なぜ「探究」か?
「探究」とは、「物事の真相・価値・あり方などを深く考えて、筋道をたどって明らかにすること」とある。(三省堂大辞林)
この語意を確認しただけでも、「探究的な学び」が重視されることに頷けそうだが、グローバル化や情報化がものすごいスピードで進み、未来予測が困難な時代ともいわれる今日、その重要性が一段と高まっている。人類が今まで出遭ったことのないような問題(課題)に直面していく中では、単に知識を増やすのではなく、知識を活用して問題を解決していく力が特に求められる。どんな社会になってもその中で主体的に生きていくためには、自ら学び、考え、行動する力を育むことが重要で、それが期待できる「探究的な学び」は具体的な教育方策として今後ますます重視されることになろう。
今回の学習指導要領の改訂では、Active Learningが、「主体的・対話的で深い学び」という表現となって目指す学びの中核になっているが、その具現に迫るひとつのアプローチが「探究的な学び」だととらえてよいかと思う。
〇 高校教育で「探究」が重視される意義
注目すべきエピソードがある。教育長時代、これからの望ましい高校の学校づくりを考える会議に出席させていただいたときのことだ。ある日の会議では、そこに複数の高校から代表生徒数人が出席してくれて、現役の高校生の貴重な声を聞くことができた。
ある高校生からはこんな発言があった。
「先日有名な進学塾の講師の講義を聴くことができ、とてもすばらしいと思った。高校にもそういうすばらしい講義ができる先生を増やして、わかり易い授業をしてほしい。」
読者諸氏はこの発言をどう受け止められるだろうか。私は、ひょっとしたらわかりにくい授業に耐えるような現実もあるのかなと少々思いやる気持ちを抱きながらも、名「講義」を求める声が大変気になった。
義務教育にあっては、最もよくない授業とされているひとつが「講義調の授業」だからである。児童生徒が問題解決の主体となって展開される授業ではなく、教師が一方的に説明し教え込むような授業だ。因みに、教師になりたての頃、授業を見ていただいた諸先輩から、「子ども主体の授業づくり」という観点に立ってよくご指導いただいたものだ。
ところで、そもそもActive Learningという言葉は、主に大学等の高等教育においてその学びの質を変えていく必要があるとして用いられるようになったものである。先生は講義を行い、学生はそれをひたすら聴くという受け身の姿勢にとどまる学びが問題視された。
では、高校ではどうだろうか。先の高校生がその実態に迫る発言をしてくれているように思う。もちろんすべての高校のことではないし、一部の生徒の声として受け止めなければならないが、その声は生徒が受け身の姿勢にとどまるような授業が珍しくないのではないかと心配させる。
故に、高校で「探究的な学び」が重視されるようになったことを大いに歓迎したいのである。なお、その学びが、「総合的な探究の時間」をはじめ、「探究」の名称が付いた教科・科目等においてのみ志向されるような誤解をされている方もおられるようなので、下の1文を紹介して本号の結びとしたい。文科省から出されている「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説」の総則編からの抜粋である。
【なお、「探究」の名称が付されていない教科・科目等についても、それぞれの内容項目に応じて、探究的な活動が取り入れられるべきことは当然である。】