NEWS

Vol.49「3.11 に思う」

【 コラム 】 2023.03.08

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和5年 3月 8日

 

NO.49 「3.11 に思う」

 

それは平成23年3月11日、午後3時少し前だった。あの東北地方太平洋沖地震(気象庁発表の正式名称)が発生し、信州の地も大きく揺れた。私は東信教育事務所の学校教育課長として指導主事の相談を受けていたが、揺れの大きさからすぐに皆が机の下にもぐった。揺れはなかなか収まらず、3分ほども続く異例のものであった。その時間の長さが、不安を何倍にもした。

マグニチュード9.0の大地震で、宮城県では最大震度7を記録した。津波も最大40m超の高さとなって多くの人命財産を奪った。伴って福島第1原子力発電所の事故も発生してしまったので、目に見えない放射線の脅威も人々を震撼させることとなった。

 

さて、あれから12年が経とうとしているが、大惨事の中、被災地での人々の行動に私たちが学ばせていただいたことがいくつもある。本号では、その中から私が校長講話でも取り上げた3つの話を紹介しようと思う。

 

〇 壁新聞編集長となった小学2年生

宮城県気仙沼市の小学校に設けられた避難所でのことである。「寂しい避難所を少しでも明るくしたい」と、壁新聞作りに挑んだ小中学生がいた。その呼びかけをして最初に「壁新聞編集長」となったのは、何と小学2年生であった。ニュースにもなったのでご記憶の方も多いかと思うが、とにかくその心意気と行動力に脱帽である。

 

それは「ファイト新聞」と命名され毎日発行された。「天気がはれだと元気がでますね」といった子どもの発信に、暗く落ち込んだ気持ちから脱出できた大人の皆さんも少なくなかったのではと思う。

避難所には様々な生活物資も配給されたが、物ではなく、多くの人々の心の栄養として希望の光をもたらしたファイト新聞であった。小さな子どもの大きな力に、改めて拍手を送りたい。

 

〇 困窮の中、秩序ある行動がとれる日本人

ライフラインを失う事態になった。飲料水をはじめ救援物資の提供が始まったが、その配給を受ける日本人の姿が世界各国から注目された。生活必需品が届くのを秩序正しく待つ日本人の姿である。そこには、世界のニュースではよく報じられるような、我先にと争う姿もなければ混乱に乗じての略奪行為もなかった。

 

それが強制されたわけではないのにきちんと並んで順番を待つ日本人の姿は、世界では当たり前ではなかった。

「日本人は冷静だ。大災害の中、困窮していても秩序ある行動がとれる。」

「欧米諸国で同規模の地震が起きた時このような行動がとれるだろうか。」

こうした声が寄せられたことをうれしく思うのと同時に、これからもその評に恥じない日本人、そして日本でありたいと思う。

 

〇 津波てんでんこ

この地震では、直後に発生した巨大な津波に飲まれる車両や集落等の様子が、結構早いタイミングで報道された。その恐ろしい光景は、私たちの瞼に焼き付いている。

さて、被災地での人々の行動に学ばせていただいた3つ目の話は、この津波に対する避難行動のとり方である。尊い命が瞬時にして奪われてしまう津波災害の経験のある地域では、小見出しに掲げた「津波てんでんこ」という避難行動が大事にされてきた。

 

「てんでんこ」というのは「てんで(ん)ばらばら」の意である。「津波てんでんこ」は、津波が来たら各自が自分の命は自分で守るべく即刻高台へ逃げろという呼びかけであると理解している。学校をはじめとして私たちがよく行っている避難訓練は、整然とした集団避難行動を目指すものだが、津波襲来という事態には合わない。いち早く安全な場所に移動することが求められるからである。「いち早く」を実行するための「各自ばらばら」という考え方について、学ばせていただいた。

 

学校生活では、学級集団、学習集団の形態をとっていない時間も少なくない。例えば休み時間には「てんでばらばら」に近い行動をとっている。そんな時の避難を想定すると、「津波てんでんこ」の訓練も必要なのではないかと考えた。教育事務所から学校現場に戻った際、その具現に向けて休み時間での予告なしの避難訓練を提案した。休み時間、いろいろな場所で活動していた子どもたちが、てんでばらばらに直接校庭をめざし、学級旗を持った担任のところに避難・整列するのである。もちろん事前指導で、そういう場合の行動の仕方については学習した上でのことだ。

結果、子どもたちの活動状況に応じ、一旦教室前に整列するといういつもの動きを省いたことで、それまで行ってきた訓練と大差ない時間で人員確認まで終了することができた。しかしながら、担任の誘導ではないこともあって「整然と」が必要な場面で大きな課題も残した。

終始冷静な集団行動で避難するという従来の訓練を大事にしながら、状況によっては集団行動をとらないことに合理性があるという場面のことも考慮して訓練を工夫したい。

 

津波とは無縁な地域にあっても、この「津波てんでんこ」のコンセプトに学ぶものが少なくない。