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Vol.47「雪と子どもたち」

【 コラム 】 2023.02.22

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和5年 2月22 日

 

NO.47 「雪と子どもたち」

 

前号に引き続き雪関連の話をさせていただく。先日、2人の孫たちを私が幼稚園まで送った。この日佐久の地は朝から晴天であったが、前夜に降った雪が厚さ1~2㎝の真っ白な「絨毯」となって辺り一面を覆っていた。

 

子どもたちは大喜びでその絨毯の上に足跡を付ける。一興した後、靴に付いた雪を払わせて車に乗せた。無事幼稚園に到着。迎えに出てくれた先生に元気な挨拶もできた。

 

 

と、ここまではよかったが、3歳の孫が園舎に入ろうとしない。「足跡付け」が楽しくて仕方ないのだ。まだ誰も踏んでいない絨毯に、どんどん足跡を付けていく。園庭を制覇したい様子だ。「じいちゃんは帰るよ」・・・応答なしである。結局至極の楽しみを奪うことはやめ、先生の「これが楽しいんですよね」という言葉に甘えて帰路に就くことにした。

 

 

さて本号では、そろそろ雪の話題ともお別れしそうな時季になってきたので、「なごり雪」の心境も手伝って、雪と子どもたちという視点に立って一茶の俳句と、同句との対比でひねった拙句を紹介しようと思う。

 

 

〇 「雪とけて村いっぱいの子どもかな」(一茶)

 

一茶の生まれ故郷は信濃の国柏原(長野県信濃町)。豪雪地帯であることもよく知られているが、15歳で江戸に奉公に出されて後に俳人となった一茶が、50歳の12月、生まれ故郷の信濃町に戻って詠んだ句は、その雪の並ではないことも物語っている。

 

「これがまあつひの栖(すみか)か雪五尺」だ。ふるさとは大人が埋もれてしまうほどの豪雪に見舞われているという現実を結句にしたことで、そこに永住しようとしている一茶の強い覚悟のほどが伝わってくる。

 

 

そのふるさとに、雪融(解)けの春が訪れ、家にこもっていた子どもたちが戸外に飛び出す。静から動だ。豪雪地帯が春を迎えた喜びが子どもたちの、その動の姿で代弁される。一茶の俳句は教育の場でも多く取り上げられるが、小見出しに掲げた句は私が大好きな一つである。なぜなら、「村いっぱいの子どもかな」と結ぶ中に、子どもたちが村の宝であり、その元気な姿こそ村の希望であるという想いが滲み出ているからだ。

 

 

少子高齢化が進む昨今だから一層のこと、将来・未来を担っていく子どもたちが夢や希望をもって元気いっぱいに育っていってほしいと願う。

 

 

〇 「雪降って庭いっぱいの子どもかな」(拙句)

 

それは、1,100名近い子どもたちが学ぶ小学校にお世話になっていたときの、ある月曜日の朝のこと。この朝校庭は、日曜日に降った雪で20㎝近い雪原になっていた。

 

職員と高学年の子どもたちが校門から昇降口までの雪かきをしてくれたが、雪かきや箒が足りないほど潤沢な人数がいるので、作業も捗(はかど)った。既に多くの子どもたちが雪で遊びまくっている中に作業を終えた職員も加わって、雪上大運動会の図となった。「雪一面」だった校庭は、みるみるうちに「子ども一面」となった。雪合戦をやる子どもたち、雪だるまを作る子どもたち、鬼ごっこで雪まみれになる子どもたち、・・・真っ白な校庭が子どもたちのカラフルなジャンバーで美しく彩られた。

 

 

さて、一段落して月曜定例の職員朝会である。最後に私から話をさせていただくのだが、まずは先生方の労をねぎらい、高学年の子どもたちの頼もしい働きを称えた。そして、雪原に戯れる子どもたちの元気いっぱいの姿が何とすばらしいことか、拙句を添えて結びとした。

 

小見出しに掲げた「雪降って庭いっぱいの子どもかな」である。お気づきの通り先に紹介した一茶の俳句を元にしながら、豪雪地帯ではない佐久の地の子どもたちに置き換えてひねってみたもの。

 

 

子どもたちのその並外れた元気な姿は、千人を超える学校で当時不登校のお子さんがほとんどいないという事実も推し量ることができるそれであるように思った。