NEWS
Vol.46「大雪が教えてくれたこと」
【 コラム 】 2023.02.15
学びの応援コラム
楜 澤 晴 樹
令和5年 2月 15日
NO.46 「大雪が教えてくれたこと」 |
先週2月10日、佐久地域では今シーズン一番の積雪となった。南岸低気圧が犯人で、普段大して雪が降らない都府県、地域でも警報や注意報がかなり発出されたようだ。佐久市では、いつものように重機も出動してくれたが、幸い私は通学路を含め何回かの雪かきと植木の雪下ろしをした程度で済み、翌日の晴天にも助けられた。
この、雪に絡めて、本号では平成26年の2月にさかのぼり、あの大雪の事態に私たちが何を学ぶことになったか、私見を述べてみたい。
〇 あっ 車庫の屋根がない!
それは、平成26年2月15日未明のこと。前日から降り続いた大雪で我が家の車庫の屋根が落ちてしまっていた。その下にあった我が愛車が車庫の屋根を支えるという格好だったが、無論愛車は大打撃を受け、買い替えることになった。
この日私は、ソチ五輪、フィギュアスケート男子フリーの羽生結弦の演技を観る予定で、日付が変わった午前3時頃起床した。前日も雪かきをしてから就寝したが、大雪警報も発出されていたので、テレビを観る前にまずはその後どれくらい積もったかを確認しようと外灯を点けて庭を見渡した。そこで無残な光景を目の当たりにすることになったのだ。近所の手も借りながら、雪下ろしした屋根を持ち上げることはできた。
〇 小さな力を合わせて
15日(土)には佐久市にも除雪等に自衛隊が派遣されるほどの大雪であった。ほとんどの道路で除雪が進まず車が動ける状況ではなかったので、校長だった私は家のことを済ませた後ラッセルしながら5㎞ほどを歩いて学校に行き、諸対応に当たった。職員を招集しようにも、各自が家庭、地域での除雪作業に当たっているし、仮に道路が通行可になったとしても学校に車が入れる状況ではなかった。
優に80cmは積もった雪原に挑み、校門から職員玄関まで雪かき1つ分の幅の一本道はつけたが、そもそも職員が学校に来られないとすれば、雪かきに動員することも叶わないのだ。もちろん週明けまでに何とかしなければ授業もできない。そこで、学校から歩いて10分ほどのところに佐久の教育会館があることを思い付いた。同会館には屋根付きの駐車場が整備されている。まずは、その駐車場が使えるように除雪すればよい。65名の教職員に伝令を回し、休日ではあったが動ける職員には雪かき持参で学校ではなく会館に来てもらうことにした。幹線道路から駐車場までの道を開けながら、最終的には25名ほどの人員が得られた。途中で部隊を二手に分け、車は会館に駐車したまま学校入り口の除雪にも当たってもらった。そんな中、PTA会長さんは自ら大型の重機を運転して学校に駆けつけてくださり、子どもたちのためにと、校庭の除雪に当たってくださった。
一人一人の力は小さいが、何十人もの力を合わせて大きな成果を挙げることができた。
〇 他力(たりき)にも限界が まず自力で少しずつ
この時の苦労話は山ほどあるがこのくらいにして、ここでは私たちがこの事態で学んだことを本旨として述べようと思う。大きい言い方をすれば、便利な日常生活にどっぷり浸かっている私たちに警鐘をならしてくれた大雪であったと捉えたい。
雪が降れば除雪車が出動してくれる。スリップ事故防止のため凍結防止剤も散布してくれる。・・・それは雪に限ったことではないが、こうした行政サービスを享受するのは私たちにとってごく当たり前の今日になった。しかしながら、あの大雪では、除雪等に当たれる人間も機関も手いっぱいで、すべての人の求めに応じられる状況ではなかった。助けを求めても通常得られるサービスを行うことが不可能だったのである。
昨今、想定外というレベルの自然災害も稀ではなくなってきた。国も地方自治体も「想定外」で片づけはせず、更なる人類の英知を絞って対応しようとはしている。しかし、そういう中ではあるが、私たちは他力本願に限界が生ずる事態があることも自覚すべきである。
昔(以前)自力で当たり前に行っていたことを他力でやってもらえることには改めて感謝するわけだが、その「他力」に限界が生じた際には、自力でできることを少しずつ行うしかないという現実も直視する必要があろう。
あの時、社会が動き、学校が動くようになるのは容易ではなかったが、いつも頼りにしていた社会機能の窮状を解し、小さな自力を結集して皆で困難を乗り越えた歩みを忘れずにいたい。