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Vol.39「O Freunde, nicht diese Töne!」

【 コラム 】 2022.12.21

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年 12月 21日

 

NO.39 「O Freunde, nicht diese Töne!」

 

今年もあと10日ほどで終わる。本号のタイトルはドイツ語だが、そう、ご案内の方も多い、ベートーヴェンの第9交響曲の第4楽章で歌われる最初のフレーズである。直訳すれば「おお友よ、この調べではない!」となろうか。

 

暮れになると、私は「第九(だいく)」を何度か鑑賞する。大晦日には、年越し蕎麦とともに欠かせない存在となっている。普段はCDやレコードで、指揮者やオーケストラの個性も味わいながら鑑賞するが、何といっても家内と東京に出かけ、N響他の生演奏に出合えるのが至極の楽しみである。ただ、このところコロナ禍にあって我慢が続いている。

 

 

さて、タイトルにしたこの歌詞は、教育的にも大変意義深いものがあると考えており、ある時私はそれを「学級目標」にしてしまった。その話を紹介したいと思う。

 

 

〇 ‘O Freunde, nicht diese Töne!’ を学級目標に

 

ここで若干「学級目標」なるものについて説明しておきたいと思う。各学校には、学校(教育)目標が掲げられている。文科省から告示される学習指導要領の総則冒頭には、「学校の教育活動を進めるにあたっては、各学校において、生徒に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する(以下略)」ことを求める記述がある。学校(教育)目標というのは、そこに述べられている「特色」の筆頭に挙げられるもので、地域や学校、児童生徒の実態を考慮しながら、「生きる力」をもう少し具体化した、教育活動におけるその校独自の大きな到達目標と言ってもよいかと思う。その学校目標を受けて、それを具現するために我が学級ではどうするか、何を大事にするかを決め出したのが「学級目標」である。もちろん各教科においても同様な取り組みがなされている。以前にも述べたことがあるが、こうした目標は行動目標にまで具体化されている方が実効性が高い。

 

 

さて、本題に入ろう。それは私が臼田中学校で教諭としてお世話になっていたときのことである。学校目標は、時の校長先生のお考えをもとにプロジェクトチームで熟考を重ね、「信頼される人になる」と決定した。その具現に向けた学級目標として、中2になった我が学級で掲げたのが、ベートーヴェンの「第九」から引用したO Freunde, nicht diese Töne! であった。

 

 

〇 目指すところに向かって自らに問う学級に

 

「第九」の第4楽章に登場する歌詞は、ドイツを代表する作家シラーの詩「歓喜に寄す」が元になっているが、冒頭の「おお友よ、この調べではない。これでなく、もっと快い歌を歌おう。もっと喚起に満ちた歌を。」とソロが力強く歌うところはベートーヴェン自身が紡ぎ出した詞である。

 

 

「第九」の展開は、希求している調べはこれかな、いやこれではない、これでもない、もっと・・・と、自問自答を重ねながらじわじわとステップアップしていく。そうしてついに「これだ」というところに行き着くのである。私はそこに、2つの教育的意義を見出しているが、一つは「簡単には妥協しない目指すところを有している」こと、もう一つは「目指すところに向かって自らの現状を問い続ける姿勢をもつ」ことである。

 

 

「第九」から引用した学級目標は、学級の日常の様々な場面で生きる行動目標になった。「調べ」は多様な価値の総称で、「信頼される人になる」につなげながら、今日の私たちの授業に臨む姿勢はよかったと言えるだろうか、〇〇さんの気持ちを本当に理解できただろうか、□□君の失敗から何を学んだのだろうか、・・・といった問いを大事にする学級文化が徐々にはぐくまれていったのではないかと評価している。

 

 

よく、「子どもの目線に立つ」ことの重要性が語られるが、O Freunde, nicht diese Töne!という学級目標は、子どもの目線から生まれるものではなかった。当然私がイニシアチブをとったわけだが、提案が押し付けにならないようには注意した。やがてこれが中学生の気位を刺激し、彼らの目線を高める効果もあったという分析を、我が学級に教科担任として見えていた複数の先生方から伺った。