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Vol.36「♪ 赤とんぼ」

【 コラム 】 2022.11.30

学びの応援コラム

楜澤 晴樹

令和4年 11月 30日

 

NO.36 「♪ 赤とんぼ」

 

本原稿を執筆している今日11月26日は父の命日である。亡き父を偲びながら、病床にあって家族の絆を大事にした「赤とんぼ」大作戦の話をしたいと思う。

 

 

〇 父の死 

 

それは、昭和37年11月26日早朝のことであった。6時前だったかと思う。5kmほど離れた母の実家からスクーターで駆け付けた伯父が、妙に慌てた様子で私たち子ども3人を起こしてくれた。姉と妹、そして私である。この時、母は父に付き添って病院に泊まっていた。

 

「これから病院に行くから・・・。雪が降っているので寒くないように着込んで支度しなさい。」

 

 

スクーターのハンドルと運転席の間に私が立ち乗りで、後ろの座席に姉が妹を腕と膝で挟むようにして乗って、計4人乗りで20kmほど離れた病院に向かった。当時は車に乗る人は珍しく、吹雪の中、伯父がスクーターで迎えに来てくれたのだ。さすがに寒く、歯を食いしばった。伯父の様子から「一大事」であることがわかったので、誰も寒いの「さ」の字も口にせず、幼い妹も泣き言ひとつ言わなかった。この時、姉が小6,私が小3,妹は入学を前にした保育園児であった。

 

 

ストーブが焚かれた病院の待合室には、知っている人もいたが、知らない人が何人も集まっていた。しかし、その中に母の姿は見えず、大変な事態に対応していることを察した。

 

しばらくして母が来た。そして、最悪の事態が告げられた。

 

「お父さんは、子どもたちを頼むと言い残して今朝、明け方に亡くなった。病気がうつるといけないから子どもたちは病室に入れないように言われていたので、今は会えないけど我慢しなさい。」

 

それまで神妙にしていた私たちであったが、「父ちゃん」と叫びながら声を上げて泣いた。父の病気は肺結核で、当時ストレプトマイシンという抗生物質が出始めた頃だったが、その効果を十分得ることができないまま迎えた結末であった。

 

 

当時、葬儀は家で行われた。葬儀後、祭壇横の廊下で泣きじゃくっている私に、姉は泣きながら活を入れてくれた。その言葉は今も忘れることができない。

 

「男がいつまでも泣くんじゃないよ。これからこの家の主なんだからね。」

 

 

この言葉で泣くのをこらえたこと、そしてこのやりとりを見ていた東京の親戚の叔母が涙を流しながら私や姉を抱擁してくれたことは、今も鮮明に記憶している。

 

 

 

〇 校長講和「心の絆 ~人間だから~」の題材に

 

 

後に紹介する「赤とんぼ」大作戦の話は、ある中学校で校長講話の中でも題材にした。職員のリクエストもあり、朝の1時間目をいただき「心の絆 ~人間だから~」と題して行った講話である。その骨子は次の通り。

 

 

【物体と物体が引き合う力の中で、万有引力と呼ばれるものがある。その大きさは互いの質量の積に比例するが、物体間の距離の2乗に反比例する。今、1m離れた○○先生と私の間にはたらいている引力は、その距離が倍の2mになると、2の2乗(つまり4)分の1になるという力だ。

 

さて、人の心はどうか。遠く離れるほど、相手を想う気持ちが強まるという特徴がありはしないだろうか。物理の現象とは逆のそういう経験を多くの者がもっているのではないかと思う。それこそ、人間だからこその心の動きである。それをここでは心の絆と呼ぶことにしよう。この、人間だからもつことができる心の絆を、私たちは人間として大事にしたい。実は、私の父は私が小3の時病気で亡くなってしまったが、その、心の絆の大切さやすばらしさを教えてくれた。「赤とんぼ」大作戦の話を紹介しよう。(話の中で、職員による混声四部合唱の赤とんぼを披露した。涙しながら必死に歌う職員の姿もあり、子どもたちの涙も誘った。)】

 

 

 

〇 「夕方6時になったら赤とんぼを歌おう」

 

というわけで、本題に入る。

私が小3に上がって間もない春のこと。学校から帰ると突然、父が入院したことを知らされた。その頃体調を崩すことが多くなって勤めも休みがちになっていたので、子ども心に心配をしていたが、入院という事態になったことには大きなショックを覚えた。同時に、大丈夫なのかどうかとてつもなく不安な気持ちになった。

 

病状は一進一退を繰り返していたのだと思う。がしかし、父から頻繁に送られてくる葉書には、子どもたちのことを想い、体調が回復してきていることが巧みな文章で綴られていた。

 

 

その年の9月、私宛に届いた葉書を紹介しよう。そこに「赤とんぼ」が登場する。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

この間は運動会での晴樹の活躍の話をありがとう。お父さんの病気も少しずつよくなっています。食事の前には必ず、よくなりますようにと祈っています。ご飯もいっぱい食べられるようになってきました。今度お母さんが病院に来るときには、好物のしめ鯖を持ってきてください。松坂屋で新鮮なのが手に入ります。

ところで、今度の25日はお母さんの誕生日だね。お父さんはお祝いに病院で歌うので、夕方6時になったら「赤とんぼ」を歌おう。時計を見ながらその時を楽しみにしています。                          よっちゃんより

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

父の名は喜安で、周囲の皆さんからは「よっちゃん」と呼ばれていた。ユーモラスな側面が現れた「よっちゃんより」だ。

 

いよいよ母の誕生日。家の柱時計が、ボーン、ボーン、・・・6時を告げた。待ってましたとばかり、「皆」で歌い始めた。姉のオルガン伴奏付きだ。「♪ 夕焼け小焼けーの赤とんぼ・・・」聞こえるはずのない父の歌声も頭の中で響いた。元気よく歌い始めたのだが、途中で涙が出そうになった。でも姉が一生懸命伴奏し歌っている姿に、ここで元気よく歌わなくちゃと頑張った。

 

 

「父ちゃん頑張れ!」と母の誕生日を祝った。

 

 

今日だったら、便利なスマホを見ながら一緒に歌うこともできようが、そんな便利さがない中でも、父は心の絆の大切さとすばらしさを「赤とんぼ」大作戦で私たちの心にしっかりと焼き付けてくれた。それが、家族5人で祝った最後の母の誕生日となった。