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Vol.35「ある霜の朝のこと」

【 コラム 】 2022.11.23

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年 11月 23日

 

 

NO.35 「ある霜の朝のこと」

 

 

11月は旧暦の霜月。私の住む佐久地域では、今年も既に何度も霜が降って(降りて)いる。先日、3歳になったばかりの孫は、朝、芝生についた霜を手に取って「雪、雪、雪だるま」と繰り返し歌っていた。

 

さて、本号では、ある霜の朝に詠んだ拙歌を紹介し、「学びの応援歌」としたいと思うが、そこには我が家の柿の木が登場する。

 

 

  • 我が家の柿の木

写真は本年11月18日撮影のもの。その5日前の日曜日、三脚を使って高枝バサミで届く範囲の柿を収穫した後なので、地上10m位に生(な)る柿がまばらに写っている。

 

 

実はこの柿は百匁柿(ひゃくめがき)という種類の渋柿で、1匁が3.75gであることから推し量れるように相当大きな柿なのだが、写真では小さく見えている。実際に重さを量ってみたところ、大きいのはやはり1個300g越えが普通であった。

 

この柿は、皮をむいて干し柿にしてもよいが、十分な時間をおけば自然に柔らかくなり、絶妙な甘さが味わえるフルーツになる。私は、柔らかく熟してからナイフ&フォークで品よくいただいている。

 

 

さて、その大きな柿を実らせる葉っぱたるや、これまた大きい。もちろんいろいろなサイズの葉が茂るが、次に紹介する写真の葉は長いところで約24cmもあった。

 

 

 

小さな文字が目に留まった方もおられるかと思うが、これは平成27年11月に採取した落ち葉。ラミネートフィルムで、シールしたものである。

 

 

  • ある霜の朝に

 

それは、強烈な霜が降りた朝であった。2階の窓際に寝ている私は、庭の一角にある渋柿の葉っぱが散りゆきながら立てるカサカサという音で目を覚ました。玄関を出てみると、柿の木の下一面を一夜にして厚い落ち葉のじゅうたんが埋めつくしていた。と、その時玄関先の足元まで舞い降りたとてつもなく大きな葉が私の目に留まった。それが先の写真。手にした時は鮮やかな黄緑色のベースに一部赤も混じった芸術的な逸品であったが、単純なラミネートシーリングでは残念ながら変色してしまった。

 

 

そして何より目に飛び込んできたのが、見事な柿の実。葉が落ちて顕わになった多くの実が、ひとつひとつ個性豊かにその生命(いのち)をふくらませていた事実に歌心がうずいた。

 

 

「霜の朝柿の葉落ちる音のして 現れし実の生命(いのち)ふくらみ」

 

 

 

  • 生命(いのち)ふくらむ生き方を願って

 

この短歌に込めた想いは、子どもたちの成長への願いでもあるが、実は子どもたちの人格形成に直接・間接に関わる私たち大人に向けたメッセージでもある。

 

昨年の夏、信大附属長野中学校の職員研修で話をしてほしいということで、半日いい勉強をさせていただいた。その時用意したレジュメの表紙に、本号で紹介した大きな柿の葉と先の短歌のコピーを添えた。そして、話の最後にこう結んだ。

 

「今日教職の魅力を増大させていくことが教育界の大きな課題となっているが、教師自身が生命(いのち)ふくらむ生き方をしているかどうかが肝心だと考えています。子どもの前に立つ教師の輝きなくして本物の教育はできないからです。そして、附属の先生方の輝きは、教職を目指す学生の皆さんや、現場の先生方にも大きな魅力として伝わります。」

 

 

既に申し上げた通り、これは教師に限ったことではない。私たち一人一人がいかに個性豊かに生命(いのち)ふくらむ生き方をしているか、していくかは、大きく言えば明日を創っていく人間を育む大事な人的環境にもなるのだと思う。