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Vol.30「不可能は可能になる」

【 コラム 】 2022.10.19

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年 10月 19日

NO.30 「不可能は可能になる」

 

以前(第7号で)、ノーベル物理学賞受賞の故益川敏英氏の講演をもとに、偉業を成し遂げた氏の少年時代のことを紹介したが、本号では、千葉工業大学未来ロボット技術研究センター所長の古田貴之氏の講演から、私たちが心に刻み置きたいメッセージをお届けしようと思う。紙面の都合で3つに絞ってみた。前号の「ICTが活躍する中で」で述べた「人間であること」に通じる内容にもなるものと考えている。

 

 

もう10年ほど前のこと。益川先生の講演に出合った時と同様、信州理科教育研究会の会長の立場で古田氏の講演を拝聴する機会を得た。本号のテーマ「不可能は可能になる」は、その時の演題で、それはまた氏の著書のタイトルでもあった。

 

さて、講演会場のステージに登場した「ロボット博士」は、40代半ばの、身長が190センチメートルもある方で、さほど高くないステージではあったがかなり見上げて聴き入ることになった。

 

「千葉工業大学未来ロボット技術研究センター『furo』の所長。これが現在の僕の肩書きです。」と切り出したロボット博士から、続けて次のような自己紹介があろうとは、思いもよらないことであった。

 

「私は、生死をさまよう病を14歳の時経験しました。その後、奇跡的に生きていますが、当時の医師の宣告は『余命8年。運がよくても一生車椅子生活になるでしょう。』というもの。その車椅子生活も長く続きました。自分はこの先ずっと、誰かの力を借りながら生きていくのだろうか、そんな葛藤が『車椅子ロボット』を発想させました。」・・・本当に度肝を抜かれてしまった。

 

 

  • 「自分で自分の限界をつくらない」

古田氏の講演は、その温厚なお人柄を滲ませながらも、とてつもない迫力があった。後に、氏の著書「不可能は可能になる」を読み返してそのときの感動を反芻(はんすう)しているが、常に新鮮である。同著書は4つの章から成り、それらの中に、小見出しの付いた53の話が登場するが、「自分で自分の限界をつくらない」はそのうちの1つでもある。その核心の一節を紹介しよう。

 

 

「所長である僕の取り柄は、挫折を知らないこと。何かをあきらめた瞬間を挫折と呼ぶのなら、僕は仕事や研究に関しては挫折知らずです。それは、僕が優秀だからではありません。僕はあきらめたことが一度もないからです。自分で自分の限界をつくらないからです。できないと思いこんでしまったら、何かを実現することはできません。僕は、結果を出すためには、あらゆる努力を惜しまずに力を注ぎ込んできました。」

 

 

ここまで言い切ってしまう方にはなかなかお目にかかれるものではない。絶望を乗り越えて挑戦を続けておられる方の装飾なしの事実には、説得力があった。

 

とにかくその迫力が全身に伝わってくる講演であった。

 

 

  • 本質は目に見えない部分にある

古田氏は、父親の仕事の関係で3歳から7歳までをインドのニューデリーで過ごされている。当時、手塚治虫の「鉄腕アトム」に登場する「天馬博士」に心動いたという話もしてくださった。

 

日本に帰国後、前述の自己紹介にあったように14歳の時、中学校でのサッカーの授業中に突然意識がなくなってしまわれた。それから2週間が過ぎて意識回復するも、脊髄の難病に襲われ、入院生活、車椅子生活を余儀なくされる。医師からは余命8年の宣告を受けることになる。

 

しかし、その古田氏が私たちの目の前で、病の「や」の字も感じさせることなく、元気いっぱいにその後の歩み、研究歴を語ってくださったのである。まさに奇跡の復活を目の当たりにした。

 

さて、氏はインドでの幼少期を振り返って、「インドでは、人生において大きな影響を受けた人物との出会いがありました。」と話され、その人物を紹介してくださった。ニューデリーの寺で修行されていた日本人僧侶の藤井日達上人(1985年逝去)で、古田少年を大変可愛がってくれたそうだ。

 

「人の目に見えるものは、ほんの一部でしかない。本質は目に見えない部分にこそある。目に見えない部分を大切に生きなさい。」という説法は、古田氏のその後の人生における原理・原則、物事と向き合うときの基本姿勢になっているとのことであった。

 

氏はやがて「人と環境にやさしいロボット」の開発をテーマにされるが、その根っこには「見えない部分を大切に」の教えが生きていると理解できた。

 

 

それにしても、藤井日達上人の卓越性があったにせよ、幼少期7歳までに、人生のよりどころともなる教えを心に刻む古田少年の何と非凡なことか。

 

 

○ 不可能を可能にした境地

14歳の少年が難病で絶望の淵に立たされる。そして、闘病生活を送る中でそれまで体験したことのない「人の死」に直面することになる。そのときに開いたという境地を語ってくださったが、それがまた凄い。3つ目の強烈なメッセージをお届けする。

 

 

「それまでの僕は他の同世代と同じように、人生は長く、未来はずっと先まで続き、輝いていると信じていました。ところが、昨日まで生きていた人が一夜で死んでしまう。人生はぷつりと途切れることを知り、僕の意識は大きく変わりました。(略)『いつかできる、いつかやれる』では、夢は実現できない。一瞬一瞬を全力で生き抜いて、自分のやりたいことを必死に追いかけて、後世に何かを残すこと。それが人生を生きる意味じゃないか。」

 

もはや絶句、脱帽である。