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Vol.28 「コロナ禍でみえた学校の学びの本道」⑴
【 コラム 】 2022.10.05
学びの応援コラム
楜 澤 晴 樹
令和4年 10月 5日
NO.28 「コロナ禍でみえた学校の学びの本道」(1) |
~大学生も悲鳴~
このところ、コロナ感染の状況も少し落ち着きを見せてきた感がある。社会は、「中止」、「休止」、「延期」のオンパレードから、感染防止対策をとりながら活動を止(と)めないようにという「ハイブリッド型」の歩みにシフトしてきている。学校の教育活動も様々な工夫を凝らしながら前へ進んでいて、本当にありがたい。
ところで、令和3年春のこと、コロナ禍で通常の対面授業ができない状況にあった大学生の声を聴く機会があった。大学の学びが全面停止してしまわないように、オンライン授業による対応が多くの大学で採られたわけだが、その中で大学生といえども悲鳴を上げている現実に出遭った。現状認識を深めるとともに、学校の学びの本道について改めて考えさせられた。本号では、以下4名の学生の声を文責 楜澤にて紹介させていただく。
- コロナ禍の大学生の声
◇ Aさん α大 教育学部2年
昨年度は新型コロナウイルスの影響で講義のほとんどがオンラインでの実施になってしまった。本当に大学生らしいことを何もできずに1年が終わってしまった。特に困ったことが2つあった。1つは毎日キャンパスへ通うことすら儘ならない状況で、友達が多くつくれなかったこと。2つ目は大学生として勉強している実感がなくなっていったこと。起きてから、寮を出ずにパソコンとにらみ合い、講義の動画を視聴し、課題をこなし、眠るというサイクルを毎日繰り返していると、勉強ではなく、作業をしているだけのような感覚に陥った。ZOOMを用いた同期型の授業もあったが、講義は聞いているけれど集中力が続かず、充実感がもてなかった。
- Bさん β大 経済学部2年
この1年間、経済学部はすべてオンライン授業であったため、大学構内に入ることなく終了した。一日中家から一歩も出ないような、理想と現実が乖離した日々であった。他大学の友人からの情報で、部分的ながらも大学構内で授業を受け、対面授業も解禁されたという状況に接し、羨ましくて気が狂いそうになった。
- Cさん γ大 保健科学2年
昨年度前期はコロナの影響で学校に行けず、毎日家でリモート授業を受けていた。疑問に思ったことがあってもすぐに聞けないことや、家から出られず友達に会えないことから、学校で友達や先生と実際に話し合ったり関わったりできる環境の大切さを改めて実感した。後期、登校できるようになってみんなに会えたときには、学校の楽しさを再確認した。
- Dさん δ大 造形学部3年
昨年は苦難の多い年だった。前期は授業のほとんどがリモートで行われ、教授陣はもちろん、友人とも直接会う機会がなかった。課題に対しても、日々の生活においても常に一人。他の人の課題の進捗状況もわからず、学校も閉鎖されているのでサークル活動もない。どんどんと落ち込んでいく日々が続き、何をやるにしても『やる』か『やらない』かの2択であった。正直言って気分が落ち込む自分との戦いの日々だった。
○ 大学生といえども
コロナ禍で、人間同士がと直接関わりながらの生活や学びに長期間の制限がかかった結果、大学生といえども前述のように悲鳴を上げている。ましてや小中学生が、登校できたとしても、半日運動会、マスクをしたままの合唱、修学旅行中止、等々これまでになかった対応に心痛めていることは言うまでもない。そして、彼らを支えコロナ禍を乗り越えようと奮闘している教職員の頑張りは筆舌に尽くしがたい。
「人間」は人と人の間の関係の中に生きていると言われる。つまり人間は、本質的に人と関わり合いながら人格形成をしていく存在なのである。大学生の悲痛な叫び声は、人間が人間らしく生きることへの切なる願いから発せられた当然の叫びと捉えるべきであろう。