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Vol.24「ダンゴムシの足は何本?」~「調べる」注意報~

【 コラム 】 2022.09.07

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年 9月 7日

 

NO.24 「ダンゴムシの足は何本?」 ~「調べる」注意報~

 

 小中学校では夏休みが終わって、ほとんどの学校で、最も長い2学期が軌道に乗った頃かと思う。前期・後期の2学期制の学校は前期のまとめの時期だろうか。

ところで、この夏休み、「一研究」を楽しんだ、もしくはそれに苦しんだ小学生が多いと思うが、その一研究とかかわりが深い「調べる」という行為について、校長時代に子どもたちからハッとさせられて学んだことがある。共有していただけたらと思う。

 

ある日、低学年の子どもたち数人とそのクラスの担任が校長室にやって来た。校長室南側の窓の外に植えられたドウダンツツジと壁との間に秘密基地をつくらせてもらえないかという相談であった。担任に許可を求めに行ったのだそうだが、担任の指導で、校長室に相談に行くことになったとのこと。私は、勝手につくってしまわずに相談に来たことをまず褒めた。そして、植木を痛めない物なら持ち込んでもよいことにし、秘密基地づくり大作戦を期間限定で許可することにした。

ある「2時やす」(2時間目終了後の長い休み時間を子どもたちはこう呼んでいた)のことである。例の秘密基地で遊ぶ子どもたちの声がした。そっと覗くと、植木の下でダンゴムシを捕まえて、小さな手の平にのせてはしゃいでいた。ダンゴムシに興じている彼らに、秘密基地を覗くことを詫びながら、窓から顔を出して話をさせてもらった。次は、その時の会話の「スケッチ」である。その子どもたちから、理科教師としても校長としてもハッとさせられる貴重な学びをすることになる。

 

  • 校長室からのスケッチ 「ダンゴムシ」

私「みんなはダンゴムシが好きなんだね。」

「うん、大好き。だってまるくなってかわいいから。」

 

私「みんなが大好きなダンゴムシに、足は何本あるか知ってる?」

「10本?」

 

私「うーん、・・・。」

「じゃあ20本?」

 

私「どうかな、・・・今度何かで調べてごらん。

「今数えるから、まってて。」

 

私「あっ、そうか。」

 

  • 「調べる」注意報 

紹介した「スケッチ」は、校長と子どもたちとの微笑ましい光景を写し撮ったものというだけで終わればよいのだが、そういう訳にはいかない。既にご賢察の通り、この時の私の発言は、理科教師失格とも言えそうなそれであった。

 

まず、「知っているかどうか」を尋ねているのがよくない。ダンゴムシと戯れる子どもたちに、その足の数を既有の知識として持っていることにどこか大事な意味があるかのような錯覚を与えてしまう恐れがある。知識を問うのではなく、単に「ダンゴムシって、足は何本あるかな?」と問えばよかった。そして読者諸氏がお気付きのように、重大な問題は、「今度何かで調べてごらん」という提案だ。

自然の事物現象に対峙し、見出した問題を観察や実験を通して計画的に追究していくのが理科学習の基本である。手の平にのせて可愛がっているダンゴムシ・・・その実物を観察すれば、足の数は判明するのだ。にもかかわらず、「何かで調べてごらん」とは、本当に情けない発想だ。

それにしても、そんな提案を校長から聞いても、「今数えるから、まってて」と対応した子どもたちは実にすばらしい。見事だ。本道を歩いていた。

 

私が「何かで」と言ったその「何か」は、図鑑やインターネットの情報を思い描いていた。昨今、言葉の意味を確認したり調べたりするのにも、あまり辞書の世話にならずネット検索で事足りることが多くなった。情報を早く簡単に得ることにおいて、パソコンやスマホはとても優れたツールである。その便利さを享受する力を身に付けることは重要である。しかしながら、そういう時代だからこそ、得られる情報を吟味する姿勢を重視したメディアリテラシーが不可欠になる。

 

ダンゴムシと戯れながら目の前の事実を大事にしようとした低学年の子どもたちは、50歳も年上の校長に、「調べる」注意報を発してくれた。