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Vol.22「注意を促す絶妙な一言」

【 コラム 】 2022.08.24

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年8月24日

 

NO.22 「注意を促す絶妙な一言」

 

それは大分昔のことになる。信州大学教育学部附属長野中学校在任中、理科の授業で刀匠の方を外部講師としてお招きしたことがある。「酸化と還元」のまとめをする場面であった。

 

ここで、まずこの授業に至るまでの概略を述べ、なぜ刀匠が登場するのかをご理解いただこうと思う。その上で、本題である「注意を促す絶妙な一言」を紹介し、その刀匠の指導に学びたいと思うのである。

 

 

  • 銅の酸化

物質が酸素と結びつく(化合する)化学変化が物質と酸素の一定の割合で起こることを、中学校では生徒の定量的な実験によって導いている。金属の銅粉を用いた場合、銅と酸素の質量比が約4:1で化合して酸化銅になることが結論として得られる。懐かしさを覚える方がおられるかと思うが、一応その化学反応式を添えておく。

 

2Cu  +  O →  2CuO

銅    酸素    酸化銅

 

 

  • 酸化銅の還元

そうしてできた酸化銅は、次に還元の対象として用いられる。銅の色を失って黒い物質に化学変化した酸化銅に、酸素を奪う役目をする還元剤として炭素の粉末を加え、試験管内で加熱すると、見事に銅に戻るのである。生徒たちは酸化銅も炭素粉も真っ黒だったのに赤茶色の銅が現れる変化に驚きの声を上げる。

 

2CuO  +  C → 2Cu  +  CO

酸化銅    炭素   銅    二酸化炭素

 

 

  • 刀匠の登場

さて、いよいよ白装束に身を包んだ刀匠の出番である。まず、日本刀は何からできているかと生徒に問う。口々に「鉄!」と応答する。続いてその鉄の原料の話に入る。自然界では、純粋な鉄としては存在せず、砂鉄や鉄鉱石といった鉄の酸化物が原料になるとの説明。則ち、日本刀をつくるための鉄は鉄の酸化物から酸素を奪う還元反応を利用することになり、酸化銅を還元して銅を取り出した生徒実験の考え方と大きくは変わらないとした。その様子を映像も交えながら説明してくださった。

美しい日本刀も、自分たちが勉強したばかりの化学変化を利用して誕生してくることを知った生徒たちであった。

 

 

  • 授業後、研究室でのこと

ところで、その授業後のことである。研究室でお休みいただいている講師の先生に、「本物の日本刀を間近で見せていただけないでしょうか?」と、10名前後の生徒が来室した。

少し間をおいて、次のような言葉が発せられた。

「これから私が言う約束をここにいる全員が守れるなら、手に取って鞘から刀を抜いてみてもいい。どうかね。」

「もちろん守ります。」と生徒たち。

次は、その約束である。

「これから代表の○○君に刀を抜いてもらい、私が5つ数えたらまた鞘に納めてもらうが、その間、全員が一瞬といえども刀の刃から目をそらさないこと。いいかな?」

 

 

生徒も私たち教師も息を呑んで刀の刃を凝視し、目をそらすことはなかった。再び鞘に納まったところで全員深く息を吐いた。

 

 

「刀の刃から目をそらさない」という指導は、実に見事であった。あれこれと注意事項を並べるより、はるかに徹底した安全指導であった。授業に限ったことではない。私たち大人はとかくあれもこれも注意して自己満足する嫌いがありはしないだろうか。刀匠の一言は、一言であるのに、その一事にとどまるものではなかった。