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Vol.21「もう一本先の電柱まで」

【 コラム 】 2022.08.17

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年8月17日

NO.21 「もう一本先の電柱まで」

 

平成5年、私は文部省(現文部科学省)の中央研修講座に学ぶ機会を得た。国立教育会館の筑波分館で、宿泊しながら1カ月を超える研修をさせていただいた。学校を長期間留守にしたわけだが、国が補充の先生を充ててくれたので、毎日の講義や演習に没頭することができた。多彩な講師陣で、ワクワクしながら勉強させていただいた。そんな研修の後半、マラソンで活躍された君原健二氏の講演を拝聴することができた。演題は「私のマラソン人生」で、その興味深いお話とお人柄に、時間が経つのも忘れて引き込まれた。

 

後に校長講話の材料にもさせていただいたお話で、本コラムでこれまで発信してきた多くのテーマに関連する話でもあるので、ここに紹介したいと思う。なお、読者諸氏がお子様に読み聞かせていただければと思い、楜澤が子どもたちへの語り手となるスタイルでまとめてみた。こういう味付けは初めてだが、なかなか面白い試みだったように思う。

 

  • 「もう一本先の電柱まで」 ~君原健二氏のマラソン人生(語り手 楜澤)~

皆さんは君原健二という名前を聞いたことがありますか。知らないという人がほとんどでしょうね。簡単に言うと、メキシコオリンピックのマラソンで銀メダルに輝いた方です。でもそのオリンピックは1968年、今から54年も前のことですので、60歳を超えるような方でないと「マラソンの君原!」と、すぐには出てこないかと思います。

 

 

これからその君原さんのお話をしましょう。これは君原さんが大勢の先生たちを前に「私のマラソン人生」と題して講演をしてくださった時の講演内容をもとにお話するものです。

 

まず、君原さんの少年時代のことを紹介します。最初に、小学生時代のことです。

 

君原さんは、小学校の担任の先生から、通知表(当時は通信簿といったそうですが)でどんなコメントをいただいていたかを話してくださいました。講演の中で、そのコメントがスクリーンに映し出されましたが、みんなビックリでした。とても意外な内容だったからです。小1から小6まであります。

 

 

小1「まじめだがあまり向上せず内気で意志弱し。」

小2「常におろおろしていて落ち着きなし。」

小3「人と親しまず。」

小4「時間のけじめなし。声が小さい。」

小5「真剣さなく、努力する気がほとんどなし。」

小6「無口で元気がありませんが・・・。」

 

 

世界に名を残したマラソンランナーです。そしてマラソンといえば、精神や肉体の「強さ」が特に要求されるスポーツだと理解しています。ところが小学校での評価は、そういった「強さ」とは程遠いものだったのです。

 

さて、決して良い評価とは言えないこの通知表のコメントが、君原少年の心に火をつけたのだそうです。「これでは恥だ」と奮起して、こんな自分は変えないといけないと心に決めました。講演では、向上心と自主性を高めていく自分づくりにおいて、そのきっかけとなった大事な出来事であったとして、「恥だ」とおっしゃる内容も、大スクリーンに映してていねいに語ってくださいました。

 

 

続いて中学・高校生時代です。君原さんは中学2年生のとき、友人の勧めで駅伝クラブに入ります。そして高校に入って陸上部に所属し、高3の時には、何と全国大会出場のレベルにまでなりました。小学生時代には、周囲に弱々しささえ感じさせることのあった君原さんでしたが、中学、高校では見違えるほど強くたくましい君原さんに変わっていきました。

 

 

その後、有名な八幡製鉄陸上部にスカウトされ、社会人として活躍されることになります。そして、日本を代表する一流選手が多く集まる陸上部の中で、「努力の人君原」がだんだん輝きを増していくのです。

 

君原さんは、自分は特に体格や体力に恵まれていたわけではないので、人一倍努力しなければ日本や世界に通用する選手にはなれないと自覚していたそうです。そして努力というものは、目標に向かって積み上げていくものなので、まずその目指すところをはっきりさせなければ何も始まらないのですと強調されました。

 

そんな考えのもと、君原さんは節目節目で自分が到達したいところをはっきりさせ、「努力の成果は必ず出る」という信念をもって自分を鍛え上げていかれたのです。これは有名な話ですが、人よりも余計に努力するために、日々の練習で工夫されたことがあります。なんだと思いますか。・・・練習ではひたすらアウトコースを走ったのだそうです。

 

 

こうした話に続けて、努力をする際の「2つの心がけ」についても話してくださいました。これが見逃せません。

 

それは、「つらいとき、もう少しだけがまんしよう」と、「自分なりに工夫して、ことに挑戦しよう」の2つです。

 

 

たとえば、道路での練習を終えるとき、「もう一本先の電柱まで走ったら今日の練習を止めよう」と、挑戦を続けたのだそうです。「もう一本、もう一本」と、少しずつの努力を上積みすることは、苦しいときでも我慢できたと振り返っておられました。

 

 

「もう一本先の電柱まで」は、皆さんも真似できそうなことがありそうですね。私は、元気な挑戦をするためのgood ideaだと考えて時々実践しています。