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Vol.17「講演『不揃いの木を組む』から」~2~
【 コラム 】 2022.07.20
学びの応援コラム
楜 澤 晴 樹
令和4年7月20日
NO.17 「講演『不揃いの木を組む』から」 ~2~ |
私は、講演を拝聴する際、必ずメモを取る。小川三夫棟梁の講演「不揃いの木を組む」の概要をお届けしているが、そのメモをもとに他者が読んでもわかる文章に加工したもの。本号は「その2」とし、最後に小川氏の著書からの抜粋も添えた。
小川三夫棟梁の講演「不揃いの木を組む」から (要約・文責 楜澤)
○ 宮大工の話
・大きな木を使う点で家屋の大工とは違う。小さな木は癖を押さえ込めるが、大きな木は癖を生かさないと使えない。
・道具の発達によってできることも増えた。法隆寺は裸の力士が立っている感じだが、日光東照宮は京都の舞妓さんかな。
・手道具を十分に使いこなした人が電気道具を使うならよいが、・・・。
・作品づくりはよりよい道具づくりにかかっている。よい道具を使えば道具に恥じない仕事をするが、適当な道具だと適当な仕事しかできない。
・物は執念でつくる。工作技術でつくると、それでよしとしてしまう。執念の物づくりでは、不満や課題が生まれる。前者は日常生活が甘くてもできるが、後者は厳しくないとできない。
・古代建築は、文字や式でなく手と体が支えてきた。手と体が覚えるまでには時間がかかる。次の世代のために嘘偽りのない物を残したい。法隆寺の大修理では、飛鳥と昭和の大きな時の隔たりはあるが、私たちは飛鳥の大工と思いを重ねて嘘偽りのない仕事をした。
○ 西岡棟梁の教え、口伝から
・厳しさのない優しさは甘やかしでしかない。
・私が浄瑠璃時を見に行こうとしたとき、西岡棟梁は「見に行くより刃を研げ」とおっしゃった。
・すぐれた宮大工の資質は煎じ詰めれば「感」である。例えば機械で工作して真っ平らであるのと、目で見て真っ平らであるのとは違う。錯覚をふまえた補正が大事。
・伽藍堂の要材は木を買わずに山を買え。・・・1300年前は大木があったが、これからは木を育てておかないと次の修理ができなくなる。
・木組みは寸法で組まず、木の癖で組め。
・木は生育方位のまま使え。・・・古代建築を見る時、柱の南側の面に節が多く出ていることに気付く。生育時に枝が多く出ていた南側を、柱にしてからも南に向けて使ったからだ。
・木組みは工人(こうじん)の心だ。・・・木の芯を通した仕事をすれば、曲がって癖がある木も使える。現在の規格品は、外面からの加工でできてくるので、芯が通っていない。
(以上)
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- おわりに
小川棟梁は、かたちとしては見えにくい人づくりによって、後世までかたちに残るものづくりを具現しておられる。氏のお話には、広く人を育てる営みにおいて心に刻み置きたいことが多くあり、前回、今回と2回に分けてその概要を発信させていただいた。氏の生き様の一端に触れながら、子育てや学ぶということについて一考する機会にしていただけたら幸甚である。
最後に、氏の著書「不揃いの木を組む」(文春文庫)の最終章から一部を抜粋し、結びとしたい。
「不揃いが総持ちで支え合う」 (文責 楜澤)
(略)
不揃いでなくちゃあかんのや。いいのもいる、悪いのもいるっていうのがいいんだ。不揃いが、俺は好きなんだ。だから、今うちには1年から10年くらいまでのさまざまな弟子がいるし、女の子もいるよ。こういうのが一番自然なんじゃないのか。不揃いは社会の基本だ。
不揃いな材でつくった法隆寺や薬師寺の塔は、それらが一本一本支え合って、「総持ち」で立っているんだからな。総持ち、いい言葉だな。みんなで持つ。不揃いこそ、社会のかたちとしては安定感があるし、強い。
(略)
不揃いのものを扱うのは、木でも人間でも大変だ。規格化されたものは楽だ。しかし、その不揃いの木の癖を生かして一本一本組めば、千年を越えて塔を支えているんだからな。
昔みたいに性なりに割った木で建物をつくってみたいものやね。時間がかかるだろうけれどな。不揃いを扱うというのは余裕がないとできないんだ。
時間に追われていたら不揃いなんていっていられないんだから。しかし、人を育てるには急いではあかん。急いだら人は育たんで。不揃いの中で育つのが一番や、そう思うよ。