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Vol.15「よりよく生きている事実を」

【 コラム 】 2022.07.06

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年 7月 6日

NO.15 「よりよく生きている事実を」

 

はじめに

前回のコラム原稿に、スマートフォンで撮った南天の写真を自力で貼って送信したところ、娘から特に手を加えなくても発信できるとの連絡があり、私は(皆様は「そんなことで?」と思われるかもしれないが)大変うれしかった。恥ずかしながら、教育長在任中そういう作業は秘書がやってくれていたので、久し振りに自力で試行錯誤しながら目的を達したことがうれしかったのである。読者諸氏に笑われてしまいそうな実態だが、前号で「見えないところを磨く」重要性について述べたこともあり、自己課題を隠しおくことなくお伝えした次第。

さて、娘からの合格点を追い風にしながら、技を定着させるためにも今回は2枚の写真を用意した。まず、楜澤ファームで育てているナスの写真を添えて話を始めようと思う。本号では、見えないところというより、とかく見逃してしまいがちなところをみることの重要性に迫ってみたい。

 

 

  • ひん死のナス苗の復活

写真は6月24日(本原稿執筆の前日)に撮影した自家用ナス。まずまずの成長をしているが、この時期のナスの育ち具合を見ていると必ず思い出されることがある。5年ほど前のナス苗ハプニングである。本号のテーマに直結するエピソードとして紹介しよう。

その年はナス苗を3本買って畑に植え付けた。我が家から約600m離れた畑は土質もよく、3反歩(30アール)の広い畑に自家用の野菜をわずか育てるだけなので、野菜たちにとっては申し分ない環境である。必要に応じて出勤前に水やりも行って、丹精込めて育てていた。ところが、そのうちの1本に変化が起こる。葉の勢いがなくなり枯れかかってしまったのだ。危ない状態が続いたが、私はあきらめず、畑に行くたびに祈るような気持ちで目をかけ手をかけた。そうこうしているうちに、黄色くなって落ち行く葉のそばに、新しい幼い葉が顔を出しているではないか。・・・何とか息を吹き返してくれた。少し遅れをとったが、立派な実をつけるまでになった。

 

丈はトラブルなく育った他の2本よりずっと小さく、収穫量も半分くらいではあった。しかし私は、この枯れかかって息絶え絶えになっていたナスの「昨日より今日」を評価したいのである。到達した絶対値は他と比べて劣る。しかしながら、危機的な状況を乗り越え、日々命をふくらませてきたナスは見事に輝いて、おいしい実を提供してくれた。

 

 

  • 不登校の実態調査(文科省)に思う

話題は変わるが、全国的にも学校教育の大きな課題として取り上げられている不登校について考えてみよう。ご案内の方が多いと思うが、文科省では年間30日以上の欠席(病気や経済的理由によるものを除く)をもって不登校と定義している。これを受けて各校では、年間30日以上の欠席者を理由別に把握した上で、不登校児童生徒の人数をまとめ報告する。教育委員会においても国においてもその人数と増減が、特段の関心事となるのだ。

ここでは、年間100日の欠席も50日の欠席も不登校としてカウントされるので、例えば去年100日欠席したお子さんが、今年は劇的に欠席が減って50日になったとしても、同じ不登校として整理される。よって大幅に改善されてきているのにその実態は多くの場合見逃されてしまうことになる。

 

私は不登校対策を論じる会議等で、全体の数がどうなったかという視点からはみえないところをみる必要があることを力説してきた。大事な実態を見逃してしまうことに警鐘を鳴らした。同じ不登校でもその中身の実態がどう変わってきているかをみて、必要な策を考えなければならないのだ。もちろん、学校に足が向かないお子さんを一律に学校へ行かせようという単純なものではない。お子さんの実態によっては、学校以前にまずは部屋や家の「外へ」という動きがテーマとなる現実もある。欠席30日を下回るといった一定の絶対値に達することより、「よりよく生きている事実」、さらに言えばよりよく生きようとしている事実に重要な意味がある。

教育長時代、ある不登校対策会議の冒頭で上述のナスの話をしたところ、参会の皆さんから「よりよくなっている変化を積極的に話題にしていきましょう」とうれしい声が上がった。

 

 

  • 習字の指導でのこと

小学校3年生で毛筆の勉強が始まる。あるとき3学年の担任から頼まれて、校長が毛筆入門の学習の講師を務めることになった。学年を2クラスずつ3つに分けて、毛筆の大きな特徴を学ぶ時間にした。会議室の中央に大きな下敷きを敷き、そのまわりに皆を集め、初めて筆を持つ児童数人に「一」という漢字を書いてもらった。長短さまざまに、見事な「一」が書かれた。その特徴は2つあった。まっすぐな線を書こうとすることと、始筆(起筆)と終筆の筆使いがないことだ(写真左)。その後で、書道の「一」を書いて見せ(写真右)、違いを発見させる。

 

数日後、各担任が届けてくれた「一」は、習字学習第一歩の足跡を残していた。こうした筆使いが改善されていく(よりよくなっていく)変遷は特に大事に見てあげたい。今どこまで達しているかという視点だけでなく、前より良くなっているという自己更新の事実にまずは拍手を送りたい。

 

 

  • おわりに

自己更新の事実を自覚することは学ぶ意欲を高め、主体的に新たな自己課題をもつことにもつながる。「今度はここに力を入れよう」と前向きになる。先に習字の指導例を紹介したが、中学での定期テストなどにおいても「テスト結果は己の過去と比べよ」という指導が効果的なことが多い。もちろん単なる点数の上下でなく、その比べ方についても指導する必要があるが、それによって学習に前向きになれる生徒が少なくなかった。

 

ある絶対値に到達しているかどうかは比較的見えやすく評価もし易い。しかし、仮に期待されるところに到達していなくても、去年より今年、昨日より今日、前回より今回、どう前進しているかをみていくことが、人間を前向きにさせてくれるように思う。ただ、当人も周囲の者も、その「よりよく生きている」事実を見逃していることが少なくない。