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Vol.14「見えないところを磨く」

【 コラム 】 2022.06.24

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年6月 24日

NO.14 「見えないところを磨く」

 

○ はじめに

写真は我が家の玄関わきに植えてある南天。「難」を「転」ずるという意から、縁起のいい植木でもある。家を新築した折、亡き母が植えたもので、今は私が年に2~3回手を入れている。去る6月初旬、新しい枝葉が茂って暑苦しそうだったので、かなり大胆に剪定した。剪定前の写真を撮っておかなかったので比較できないのが残念だが、我が家を訪れる知人には、「どうです、涼しげになったでしょう。」としつこくPRしている。

 

 

さて、この南天をはじめとして、植木を剪定(ほとんどはプロにお任せしている)する際には、素人ながらこだわっているポリシーがある。それは、「外面(そとづら)だけでなく、中に手を入れる」ということ。この辺で読者諸氏には本号のテーマとの関連がみえてきたかと思うが、今回はこれでいこうと思う。

 

○ ある植木職人さんの教え

教頭時代、ある中学校で敷地内の植木の手入れをお願いした植木職人さんから、大変示唆に富んだお話を伺った。ちょうど職員室前の植木の剪定をされていたので、ご挨拶がてら休憩時のお茶をお持ちして、現場で歓談させていただいた時のことである。

きれいにしていただいた植木を前に、「私も我が家の植木を挟むことがありますが、本当にプロの仕事は違いますね。」と申し上げたところ、次のようなお話をしてくださった。

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「植木の表面だけ刈り込むのは、ちょっと慣れてくれば素人でも上手な方がいますよ。時間もそんなにかからなくてできるものです。

ところが、肝心なのは中です。中に手が入ると、表面の刈込が一層生き生きしてきます。そして、新しい芽が内側からも出るので木にとっても大事なことです。手入れで手間がかかるのはこの『中』。厳しい言い方をすると、外面(そとづら)だけ整えた植木はやがて木の本当の勢いを失ってしまいます。」

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そう言われてプロの手にかかった植木を改めて見てみると、「中」の込み入った枝の茂みがきれいに整理されている。それまで、表面の刈り込みをいかに美しく仕上げるかということだけ考えて植木バサミを使っていた私は、大発見をさせていただくことになった。と同時に、教育においても似たようなことをしてこなかっただろうかと、妙に不安な思いにも襲われた。

 

  • 教育においても

「中」の手入れと耕しこそ、私たちがずっとめざしてきた教育のはずである。だが、一時間一時間の授業を振り返った時、「中」に響く学び、換言すれば感動を伴った腑に落ちる学びをどれだけ生み出すことができていただろうかと、改めて自らに問うた。

そういえば、教師が「いいですか」と発し、子どもたちがすかさず口をそろえて「いいです」と反応することをもって、その場面一件落着としているようなやりとりが少なくない。場合によっては、子どもの反応が弱いと、教師はもう一度、ボリュームを上げて「いいですか」と繰り返す。子どもたちは気の毒に、あまりよくなくても「いいでーす」とオウム返し的反応を強いられることになるのだ。

 

「外面(そとづら)」だけをみて確認、評価してしまう傾向は、家庭においても学校においても、さらには社会においても結構見受けられる。植木の外面だけを整えるのではなく、「中」の手入れを大事にせよ・・・この教えは植木の手入れに限ったことでなく、誰もが心に刻み置きたいことである。

 

○ 本物は見えないところのあり方が違う

 ここで、教育功労賞をはじめその教育実践で多くの受賞をされている東井義雄先生(平成3年逝去)の名言を紹介しよう。

本物とにせものは見えないところのあり方で決まる。それだのににせものに限って見えるところばかりを気にし、飾り、ますます本当のにせものになっていく。

 

先生は多くの著書も残されており、私は読み返す度に感動を新たにしている。私が教育関係者に紹介している書籍の中で群を抜いている。ある時、小学校の教師をしている嫁(息子の)にも、何冊か勧めたところ、涙しながら読み入ったとのこと。

さて、東井先生の「本物」の捉えについては、全くそのとおりで、子どもたちが人格形成していく過程において是非出合わせたい教えのひとつだと考えている。よって、私はいろいろな場面で引用しながらお話をさせていただいてきた。教育長時代には、高齢者大学でも講義の中で紹介し、そこに学ばれている皆さんの姿はまさに「本物」であると結んで、大きな拍手をいただいたことがある。話の一節一節に深く頷きながら、時には拍手までして聴講される高齢者の皆さんは、自ら求めて、まさに見えないところに磨きをかける学びを積まれていた。

 

○ おわりに

第10号のコラムで紹介したが、私は若かりし頃、時の外務省の派遣でリオ・デ・ジャネイロ日本人学校に3年間勤務した。実は、皆様にお世話になっている我が愛娘もそのリオで生まれた。

さて、ご案内のとおりブラジルでは、日本から移民された先人の皆さんの長きに渡る活躍・貢献もあって、日本そして日本人に対する信頼が非常に厚く、どこへ行っても大事にされた。日本人は時間を守り、約束を守り、ごまかすことなく・・・と、尊敬されることが多かった。日本製のカメラや電気製品などは注目の的であった。なぜなら、日本の製品には、見えないところをごまかさない、いや見えないところにこそ最高の材料を用い、最高の技術を駆使するこだわりがあると評価されていたからである。それによって得られる高性能、信頼性こそ、【made in Japan】のステイタスであった。

 

今日、その日本においても、偽装をはじめ見えないところをごまかして営利のみに走るような問題が散見されることに心痛むが、世界が大混乱している今こそ、改めて日本の、そして日本人の誇りとするところを大事にしたい。東日本大震災の直後、大混乱の中でも生活物資の受領が秩序を保って自然にできていたことが世界中から注目された日本人である。大人も子どもも、見えないところでコソコソとごまかしたりはしない「本物」の生き方に益々磨きをかけていきたいものである。