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Vol.6 「見えやすいOUTPUTと見えにくい INPUT」~2~

【 コラム 】 2022.04.24

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和4年 4月 24日

 

NO.6 「見えやすいOUTPUTと見えにくい INPUT」~2~

 

前号の「小3男児の俳句に学ぶ」に続けて、恥ずかしながら私自身のエピソードを2つ紹介し、INPUTとOUTPUTの両者をセットで考えていくことの重要性にまた迫りたい。

 

○ 作文の時間

 

前号に続く2つ目のエピソードとなるが、私の小学校低学年時代の恥ずかしい実態を紹介させていただく。

私は、たいていの勉強そして運動は大好きだったが、作文の時間だけは大嫌いだった。先生は、「何を書いてもいい」とおっしゃったが、私は、「何を書こうか」と悩み続けてその時間を過ごした。目に見えるOUTPUTは、白紙であった。決して反抗的な態度をとったのではなく、まじめに悩んだ結果である。遠足などの行事が終わると、よく作文の時間がやってきた。「遠足でどこに行ってどうだったかなど、何を書いてもいい」とおっしゃったが、やはり何を書こうか悩んで鉛筆が動かないことが多かった。

 

その背景として記憶にあるのは、当時の多くの作文に見受けられた「行動の記録」(もちろんそれが求められたわけではないと思うが)に意味を見出せないという思いがあったことである。

「今日は遠足で、○時に起きました。○○と□□に行きました。特に〇〇が楽しかったです。・・・みんな元気に歩いて□時、無事学校に帰ってきました。」といった類の作文は、誰が書いても似通ったものになると感じており、自分はおもしろい学習にできなかった。

行動の記録ではない文章を綴ればよいではないかとお考えかもしれないが、あいにく自分の不勉強で意義を感じる作文との出合いが少なかったせいか、作文する意欲が湧かなかった。

夏休み等の宿題になっていた日記で、行動の記録をまとめる作業が身についてしまっていたことも、晴樹少年を作文嫌いにした一因かもしれない。日記の書き出しのほとんどが、「今日は」であった。

担任の先生は家庭訪問等で私の作文に関してふれることもあったが、書くことも伴う他の学習は存分に楽しんで取り組んでいたせいか、あまり深入りはされず褒められることの方が多かった。特に、家で身に付けていた鍬柄での畝づくりなどの技は大人顔負けのレベルだったので、学校園の作業でよくクラスをリードしてくれていると褒めちぎられ、うれしかった。母も、幸い、作文への意欲が湧かない息子に対して、そのうち書きたくなるからとあまり問題にしないでくれていた。

とにかく、私にとっては、「作文のための作文の時間」に意味や意義を見出すことはできなかった。本号での発信に位置付けるとすれば、INPUTがあろうがなかろうが、OUTPUTだけが求められる「作文」であったように思い出される。

 

 

○ グループ日誌登場

 

さて、そんな私が書くこと大好き人間になった経緯を、3つ目のエピソードとして紹介したい。それは中学校時代のことであった。具体的なきっかけがある。

時の担任の先生は、42人の学級を6人ずつ7つのグループに分けた。そして月曜日から土曜日まで(当時は週6日登校)、毎日グループ内で決めた順番でグループ日誌を書くことになったのだ。朝、7冊のグループ日誌が集められて先生のもとに届けられ、午後の学活時に先生のコメント入りで返ってくる。中1の1学期途中から始まり、卒業するまで欠かすことなく続いた。

何を書いてもよかったが、もちろんのこと「行動の記録」ではなかった。国語の授業で扱った文学作品に対する私見、科学の授業で残った疑問、世の中で起こった事件についての考え、等々多彩な内容で、大学ノート1ページ以上上限はなく論述された。小論文と呼ぶにふさわしいものであった。自分ならではの視点で問題を見出し、自分の頭をフルに使って論をまとめる。時には、人間というものは・・・など、生き方に関する小論文も書いた。この取り組みで書くことの意義、おもしろさをたっぷりと感じ、私の作文嫌いは遠い過去の話となった。

グループの友人がどんな問題意識をもって何を述べたか、自分の番が回ってきたときまずじっくりと読みふけった。そして少々大人目線でものごとを捉え、書くテーマを決め出す。このグループ日誌によって、自分のありようを見つめることにもなったし、自分の小論文に寄せてくれる友人や先生の評から、自己肯定感を高めることにもなった。

 

 

日常直面するさまざまな事象は、PISA型「読解力」でいう「テキスト」となった。与えられるのではなく、自分が読み解きたい「テキスト」を見つけるのだ。それを自分なりに咀嚼(そしゃく)し、思考力、判断力、表現力を駆使して小論文にして発信する。

 

中学時代のこの3年間の取り組みが、我が人格形成にどれだけ意味をなしたことか、その寄与は計り知れない。