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Vol.94「今日のことば」~4~
【 コラム 】 2024.10.30
学びの応援コラム
楜 澤 晴 樹
令和6年10月30日
NO.94 「今日のことば」~4~ |
「今日のことば」最終回となる第4弾だ。
以下の記号によりことばの出所を示している。
(〇:私、 □:生徒、 ◇:私や生徒以外)
◇ 【服装、姿勢は全く自由であったが、聴くべきときをしっかりわきまえていた。~デンマークで授業を参観された副校長先生の感想から~】(12月2日)
欧州視察研修から帰られた副校長先生が、「研修報告」講話で全校に紹介されたデンマークの中学生の様子である。
「自由」なありようの生徒たちは、自由な発想で多様な考えを述べるが、その発信をする元となるINPUTを得る場面の真剣な態度が印象的であったとのこと。やはり、聴くという行為は受け身ではなく、能動的・主体的な行為である。
□ 【あの時、敢えて苦しい方の道を選んだから今の自分があるのです。~学友会「ノート引継ぎ会」に来校した先輩のことば~】(12月25日)
信大附属長野中の生徒会は「学友会」と言った。役員が改選されると、3年生の旧役員から2年生の新役員に「ノート引継ぎ会」が行われるが、そこに前年度卒業した先輩が駆けつけてくれたのだ。1年前の引継ぎで忘れていたことがあるということで、顔を出してくれたのは、時の応援委員会副委員長であった。帰り際、自分が委員会を任されて歩んできた日々を振り返って語ってくれたのが、標記のことばだ。困難を避けようとはしてこなかった歩みを誇らしく語る姿は、新役員の挑戦心に新たな火を点けた。
◇ 【できるかできないかではなく、最も望ましい姿を考えてほしい。~「21世紀の長野市プラン」シンポジウム(2学年総合的な学習)での市担当者のお話より~】(1月16日)
「できるかできないか」は抜きにしてという、長野市のご担当の方のお話は、発想の自由度を大きく膨らませた。
ところで、総合的な学習の時間は平成10(1998)年改訂の学習指導要領に初めて登場し、平成14(2002)年から順次本格実施となった。よって、今日ではお馴染みとなった「総合」だが、平成9年度の日報に同時間の話題を載せたことには歴史的な意味があるとも言えよう。国内でその創設が初めて提唱されたのは、平成8年の中央教育審議会答申(第一次答申)においてであり、その趣旨を汲んで先駆的に実践研究を始めた附属長野中の歩みは貴重だったように思う。
〇 【国旗に向かって微動だにせず。~リオの日本人学校で運動会をやった時のこと。開会式では先にブラジル国旗を掲げ同国の国歌を流しました。その瞬間、プール工事のために砂利を運んでいたブラジル人が一輪車を置き、国旗に向かって直立不動となって歌い始めたのです。その姿勢の何と気高かったことか、私は強く胸を打たれました。~】(2月6日)
平成9年、長野県は冬季オリンピックの開催地となり、学校でも様々な取り組みがなされた。校庭には、国旗、オリンピック旗、パラリンピック旗を掲げた。そして、そういうシンボルを大切にしてほしいと願って紹介したのがこの事例である。
ところで、最近、オリンピックをはじめとしてスポーツの国際試合で日の丸が上がり君が代が流れる場面があるが、選手の口がほとんど動かない映像を目にすることがあって残念に思っている。皆さんはどうお感じだろうか。
◇ 【皆さんがあまりにすばらしいので、お土産といっしょに連れて帰りたい。~昨日ルクセンブルグの選手団が来校されました。時間が十分とれず、3年生の音楽の授業で歓迎の意を表しました。その時の団長さんのことばです。~】(2月20日)
長野五輪では「一校一国運動」が展開され、附属長野中はルクセンブルグの選手団を受け入れ応援することになった。いくつかの競技には学年別で応援に行ったが、残念なことに選手団の皆さんの来校スケジュールはあまりにタイトで、標記のような歓迎になったのだ。小規模な歓迎になってしまったが、生徒40人の歌声は選手団の皆さんを驚嘆させた。団長さんからこの上ないお褒めの言葉をいただき、’Thank you. Take me to Luxembourg with you.’と応じた生徒もいた。
〇 【終わりを大切にする心 ~「先生、私たちにとって最後の授業がこの理科です。よろしくお願いします。」3年生のクラスで授業開始時にいただいたこのことばに心が熱くなった。私はそれに精一杯応えようと、燃えるような思いで授業を始めた。~】(3月13日 金曜日)
この年、本県の公立高校学力検査は3月16日(月)。入試後、3年生は特別日課となるので、この13日(金)が教科の授業の最終日となった。加えてこのクラスは、その日の最後の授業が理科であった。時間は連続して流れるが、そこに不連続の特別な意味をもたらす始まりとか終わりという節目は、本当に大事にしたい。教職にありし日の私は、とりわけこういう「終わりを大切にする心」に、こどもたちの成長の実像をみることが多くあった。