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Vol.89 「先生、この字何と読むのでしょうか?」

【 コラム 】 2024.08.21

学びの応援コラム

楜 澤  晴 樹

令和6年8月21日

 

NO.89 「先生、この字何と読むのでしょうか?」

 

それは、私が初任2校目となる中学校に異動して1ケ月程経ったある日のことであった。そこで英語科M先生の、信じられないような驚きの事実に出逢うことになった。

先生は既に他界されているが、先生の生き様は、先生と関わらせていただいた多くの教師や子どもたちの心の中にしっかりと刻まれている。今も私たちの歩みを応援してくださっているに違いない。お盆明けになったが、本号では在りし日の先生を偲びながら、並々ならぬ努力によって成し得ていたその驚くべき事実の一端を紹介しようと思う。

 

〇 数学科に身を置いて

3月、卒業式前だったかと思う。2校目赴任先の校長先生が「お迎え」と称して私が勤める中学校を訪ねてくださった。当時は、そうした丁重な慣わしで、次に赴任する学校の校長先生が訪ね来られて、学級担任他、担うことになる校務などについて期待を添えて話してくださった。

驚いたことに、担当教科は数学を主とし(理科は1クラスのみ)、数学主任もお願いしたいとのことであった。数学の大きな研究授業の会場になるからとのこと。こんな若造が600人規模の学校で教科会の主任をさせていただいてよいものだろうかとも思ったが、若い力に期待したいという力説に押されてお引き受けすることにした。異動後、数学主任を務めながら公開授業の授業者もさせていただくことになった。

以上前置きが長くなったが、私が理科室ではなく英数研(英語と数学の教師の研究室)の住人になったことの導入をさせていただいた次第。

 

〇 難読漢字をお尋ねして

その時英数研にいたのは、たまたま私と大先輩M先生の2人だけだった。私は教材となる資料を読んでいたが、読み方のわからない漢字に直面し、M先生にお尋ねすることにした。「恥ずかしながら、漢字の読みを教えていただけますか。」と前置きしながら先生のデスクへと向かった。そして先生が座られている椅子の左横に立って、問題の漢字を指さしながら切り出した。

「先生、この字何と読むのでしょうか?」

「どんな漢字ですか?」

「これです、この漢字です。」

私は、机上に資料を広げながら先生の目の前で文字を指さしていたのだが、先生は何か思い出そうとする時にするような仕草で少し右上方に顔を傾けたまま、資料を見ておられない。

 

数秒間の沈黙に続いて発せられた先生の言葉に、私は大混乱であった。

「ああ、そういえばまだ楜澤先生に話してなかったですね。実は私は目が見えないんです。」

冒頭触れたように、それは私がその中学校に赴任して1ケ月は経っていたときのこと。よってM先生とは授業のない時間に同じ英数研の中でお話しさせていただくことも多くあったし、校内を一緒に移動することだって頻繁にあった。しかし、目が不自由でいらっしゃると感じたことなど一瞬もなかったのである。学校への送迎はお嬢さんが車でされていたが、それはよくある普通の光景でしかなかった。

先生の目の症状は、教職に在りし日の途中から徐々に進行したとのことであった。

 

〇 テスト返却の神業

英数研に教科連絡で来室した生徒と先生の会話は傍で聴いていても楽しかった。先生の人間愛、教育愛が子どもたちを温かく包むからだ。たまに先生が授業をされている教室の廊下を通ることもあったが、明るい朗々とした英会話の盛り上がりに、しばし立ち止まって聴き入ってしまうこともあった。

先生の頭の中には英語の教科書が完全に入っていた。授業学級の生徒全員の氏名、特徴も完璧にインプットされており、授業での指名も自在にされていた。生徒からの話でさらに驚いたのは、テスト返しの様子である。名簿順に名前を呼んで、一言激励の言葉を添えて返却されるのだそうだ。その一言が凄い。次はその一例だ。

「太郎(仮名)、よくがんばった。問い3は、主語に合わせて動詞を変化させないとな。」

ある先生から、ご家族の協力も得て採点されているとはお聞きしたが、教科書が頭に入っているなんてもんじゃない。答案用紙が見えないのに、一人ひとりの解答内容を承知しながらコメントを添えて返却する・・・、これはどう考えても神業に思えた。

 

想像を絶する努力で子どもたち一人ひとりに寄り添われているM先生は、まだ教職経験の浅い私たちに、本物の教師とは何かをその実践の事実で示してくださった。困苦を乗り越えることが大事だと軽々しく生徒に語っていた自分が恥ずかしくなったのを思い出す。